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南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

(4)苦肉の策


半日ガイド体験記 (2004年6月の記録)

 ∬第4話 苦肉の策

私は、これからの行程に何度も眼を走らせ、頭をすばやく回転させた。
「特別な何か」が出来るとすれば、私が居る間、つまりここアンタルヤにおいてであろうことは明らかだった。
日本語ガイドはいるのだが、この面ではあまり頼りに出来そうにはなかった。頼りになるなら、とっくに何かのプランを考え、手配していても良さそうなものだから。
予定では、8時15分にホテルを出発。アンタルヤ考古学博物館の見学の後は、まっすぐパムッカレに向かうことになっていた。

私は、お昼過ぎまでアンタルヤにいてはどうか、と彼女に提案してみた。
たった1泊。それも前日夕方に着いて、午前10時前には発つという慌しさである。
本当ならもう1泊してもらい、ビーチパークをゆっくり散策してもらったり、まだツアーで一度も出ていないという魚料理を堪能してもらいたかった。
昼食を魚料理のレストランに変更するというプランも考えられたが、彼女が前夜苦心して拵えたおにぎりを無駄にするわけにもいかなかった。

そして、こんなプランを提案した。
博物館の後、すぐ近くで開かれている日曜パザール(青空市)に行き、庶民の台所を見学する。その後、我が家に案内し、トルコの一般住宅の一例を見てもらう。最後にビーチパークに行き、浜辺かピクニック・エリアで和食ピクニックを行う。
今日の今日、今の今、出来ることといえば、これくらいしか思いつかなかった。
午後1時にアンタルヤを出発すれば、デニズリまでは直行で約230km、3時間から3時間半かかるとして、夕方5時までには着けるだろう。到着後予定されていたパムッカレの観光は、翌日に回せばいい。

横田さんは、藁にもすがる思いだったと思う。本音はともかく、私の提案をそのまま受け入れるしか、この場を救う道はないと咄嗟に判断したようだった。
朝食のために降りてきた日本語ガイドを手招きし、すぐに相談に入った。
日本語ガイドからは、少々物言いがついた。
「それ無理。エフェソスに着くの遅くなります。パムッカレの観光も短くなる」
「8時半くらいにホテルを出て、パムッカレ観光は1時間半くらい。10時、10時半くらいにパムッカレを出たら、エフェソスまでまっすぐ2時間半くらいで行くでしょ?12時半、1時くらいにレストランに入るんじゃない?」
「そんなに早く走れない。バスですから。途中で休憩もするし」
「休憩するの?何度かこのコース走ったけど、したことなかったなあ」
「します。ガソリン入れないと」
オーケー。それなら、そういうことにしておきましょう。
(※その後、横田さんに聞いた話だと、途中で革製品の工場に立ち寄って買い物をし、エフェソス到着は予定通り(?)遅くなったとのこと)

また、アンタルヤ~パムッカレ間はコルクテリ経由の最短ルートではなく、ディナール経由と決められているとのこと。元々、昼食をディナールのレストランでとる予定だったのがキャンセルしたので、せめてデザートだけでもと、休憩地点に決めてあったのだ。
アンタルヤからディナールまで約2時間半、ディナールからパムッカレまで約1時間半、休憩を含めて4時間半から5時間でパムッカレに到着する。やはり、ホテルへのチェックインは夕方6時頃になりそうだ。

出発の時間が近づいた。日本語ガイドは急いで朝食をとりに行き、横田さんは部屋に荷物の片付けに上がった。
私は自宅の目加田さんに電話を入れた。電話越しに子供たちの騒ぐ声が聞こえる。どうやら眼が覚めて彼女の寝床を襲ったものだった。
私は手短にことの成り行きを説明した。
今日半日、グループの案内をすることになったこと。9時頃にいったん帰って、朝食を作るから心配しないでいいということ。しかし、その後また出掛けて、グループをパザールに案内すること。目加田さんは家に残ってもいいし、一緒にパザールに出掛けてもいいということ。そして、後ほど我が家に15名のグループがやってくるということ。

グループのメンバーが次々ロビーに集まってきた。
私は、日本人ツアー・グループの醸し出す懐かしい雰囲気になんとなく胸がときめいた。
久しぶりに感じる嬉しい高揚感だった。

(つづく)

∬第5話 最初の仕事


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