蔦が岳

赤間地区の年表

赤間地区の年表
1256年(康元1年)、1257年(正が1年) 宗像文書に赤間庄が出てくる。
      「むかし赤間院内また赤間庄といひしは、今村名悉くは伝わらず。朝町、多久、須恵、三郎丸、土穴、野坂等は赤間院内なるべし。」
    
1336年(建武3年) 第54代(65代説もある)宗像大宮司氏俊、城山の赤間山城修補の説あり。
1560年(永禄3年) 第80代宗像大宮司氏貞、赤間山城を普請し入城。
1562年(永禄5年) 氏貞、赤間山城を嶽山と改める。
1586年(天正14年)氏貞、死去。
1587年(天正15年)小早川隆景、筑前・筑後・肥前の一部を得る。
      豊臣秀吉、箱崎を出立し赤間に至る、陵厳寺村の正法寺に宿泊。
1588年(天正16年)豊臣秀吉の命により、蔦が嶽城破却。
1595年(文禄4年) 小早川隆景、隠退。秀吉、隆景に隠居料として宗像・鞍手・御牧(今の遠賀)三郡を与える。
1600年(慶長5年) 黒田長政、筑前入国。
1616年(元和2年) 知行高書上によると、宗像郡は石高48、288石9斗
          領地高書上によると、宗像郡は田畑高2,291町5反
1635年(寛永12年) 参勤交代制の確立。
1642年(寛永19年) 畦町宿が開かれる。
1671年(寛文11年) 黒田光之、陵厳寺村に観音堂を建て、高樹山とし山林
800坪を寄進。
1688年(元禄1年) 出光良盛、須賀神社に天満宮建立。
1690年(元禄3年) 宗像郡家数4498戸、人口29863人。 
1709年(宝永6年) 徳重触大庄屋に徳重村藤八任ぜらる(1736年まで)。
1717年(享保2年) 九州巡検使、4月1日に若松着、4日に赤間着。
※巡検使とは、将軍の代替わりに全国の国郡を巡察した幕府の臨時の役職。
1730年(享保15年) 竹田春庵「筑前国武丸村正助伝」刊行。
1731年(享保16年)享保の飢饉で、赤間の蛭子屋・大黒屋が代官に寄進を願い出る。
1744年(延享1年) 黒田藩が幕府に、三郎丸にて鉄仕立てのことを届ける。延享3年には鉄仕立て業を止める。
1746年(延享3年) 徳重村で疫病流行、死者19人。
1751年(宝暦1年) 宮田・辻田両橋が石橋になる。
      赤間の蛭子屋・大黒屋、祇園社の御輿を大坂より下ろす。
      出光卯助、須賀神社へ進藤五国光を奉納。
1753年(宝暦3年) 徳重触大庄屋に野坂村徳七任ぜらる。
1757年(宝永7年) 九州巡検使、赤間泊。
1760年(宝暦10年)蛭子屋卯助、法然寺の観音堂を創建。
      出光卯助・松尾良清、七社宮の宝剣備前始祖則光(宗像大宮司氏貞の奉納)を修理、奉納。
1761年(宝暦11年)九州巡検使、赤間泊。
1762年(宝暦12年)「宗像崩れ」※徳重村大庄屋武六、博多の橋口町に9日間入牢、宗像郡から追放、家居家財田畑召しあげらる。他の大庄屋三人は逼塞過銀申しつけらる。事の始まりは、税金の徴収の段階で介在の商人が持ち逃げ。
      徳重触大庄屋に野坂村徳七任ぜらる(1774年まで)。
1774年(安永3年) 徳重触大庄屋に田久村藤八任ぜらる(1781年まで)。
1775年(安永4年) 赤間・上西郷・津屋崎に御郡蔵建つ。御囲い米3,800俵(宗像市史にて3800俵説と、4800俵説あり。)
1782年(天明2年)徳重触大庄屋に田久村藤右衛門(1788年まで)。
1788年(天明8年) 徳重触大庄屋に須恵村古野伊作(1794年まで)。
1796年(寛政8年) 徳重触大庄屋に曲村阿部忠助(1797年まで)。
1797年(寛政9年)徳重触大庄屋に武丸村伊豆善右衛門(1817年まで)。
1801年(享和1年) 赤間村大黒屋お政、操をたて自殺。
1804年(文化1年) 宇佐、香椎への奉幣使巡幸。
1811年(文化8年) 釣川洪水のため、田久・土穴・稲元・曲、浸水。
1815年(文化12年)赤間村藤助、忠貞奇特の故を以って藩より八木五俵を授かる。
      伊豆善右衛門(武丸)、富士原の愛宕神社に狛犬一対を寄進。
1817年(文化14年)赤間村大黒屋嘉右衛門、お政の貞烈のため、黒田候より白銀14枚授かる。
      徳重触大庄屋伊豆善右衛門、勝浦触大庄屋永嶋源五郎、共に入れ替え。後任は徳重触大庄屋に蛭子屋卯右衛門(1818年まで)、勝浦触大庄屋に阿部忠右衛門(1820年まで)。
1819年(文政2年) 徳重触大庄屋に赤間村出光卯惣太(1820年まで)。
1820年(文政3年) 徳重触大庄屋に徳重村石松伴蔵(1849年まで)。
1824年(文政7年) 田島宮を宗像宮と改称。
1827年(文政10年)徳重村大庄屋石松伴蔵、人となり極めて温和、百姓風俗よろしく、公役・年貢・諸上納に至るまで励みけるという理由で、藩より青銅若干を授かる。
1838年(天保9年) 九州巡検使、赤間泊。
1845年(弘化2年) 伊豆善右衛門・白木喜右衛門・白木喜兵衛・出光運平・水上駿平・八尋仁右衛門・石田伊平、赤間須賀神社の右脇の空屋敷を寄付。
1850年(嘉永3年) 陵厳寺村で種痘実施。
      徳重触大庄屋に徳重村石松三郎平(1869年まで)。
1853年(嘉永6年) 吉田半衛門・吉田利三郎・吉田大次郎・石?源次郎、陵厳寺蘿神社へ和藤内図絵馬寄進。
1854年(安政1年) 日米和親条約、日英和親条約、日露和親条約締結。
1864年(元治1年)赤間宿にて、奉幣使接待。下宿46軒、宿泊客335人。
1865年(慶応1年) 三条実美ら五公卿、赤間御茶屋に滞在(1月17日~2月12日)。
1867年(慶応3年) 大政奉還。

(明治時代)
1870年(明治3年) 徳重触大庄屋に徳重村石松伴六(1871年まで)。
1871年(明治4年) 戸籍法に伴う区制で筑前34区のうち、宗像郡は6区(西部)と7区(東部の市域の大半)になる。
1872年(明治5年) 大区小区制により、宗像郡は第4大区となり22小区に。
      第4大区調所を赤間に置く。7区戸長に石松伴六。
      壬申戸籍できる。
1873年(明治6年) 「筑前竹槍騒動」
※嘉穂郡に始まった百姓一揆。富士原の赤城峠を越してきた一団と、吉留の猿田峠を越してきた一団は、赤間で合流(6月18日)、福岡へと向かう。6月16日~6月21日。宗像郡の参加農民は5460人。事後処理で赤間にも取り調べの出張所が設けられた。
1874年(明治7年) 日新(赤間)、東郷などの小学校が開校。
      赤間村に郵便取扱所開設。
1875年(明治8年) 赤間村に警察掛巡視所を設置。
1878年(明治11年)赤間村に宗像郡役所を置く。
1879年(明治12年)徳重の石松伴六、安政の始め宗像神社にありし巨鐘を許斐山頂に引き上げ時刻を報じて山下農民に晨起勉励就業の時間を厳知するなど多年の勲功を賞し、藩主黒田公、米30俵を祭祀の料となせり。69歳で没する。
1880年(明治13年) 県立中学宗像分校が赤間に開校
1881年(明治14年) 県立中学宗像分校が東郷村に移転。
      宗像郡役所、東郷村に移転。
1885年(明治18年) 小倉・赤間・福間・古賀・福岡の国道が34号に指定
1886年(明治19年) 徳重正雄、県会議員となる。(1月)
赤間警察署が開所。
1889年(明治22年) 大日本帝国憲法発布。(2月11日)
町村制施行により、赤間、石丸、富士原、名残、徳重、田久、土穴、三郎丸、陵厳寺の九村が赤間村になる。
1890年(明治23年) 博多~赤間間が開通。赤間駅と福間駅が開業。(9月)
      九州鉄道の赤間~遠賀川間が開通。(11月)

1894年(明治27年) 日清戦争始まる。
1896年(明治29年) 郡制施行で宗像郡発足、郡役所は東郷村。
1898年(明治31年) 赤間村が町制施行で赤間町になる。

1901年(明治34年) 官営八幡製鉄所が創業開始。
1904年(明治37年) 日露戦争始まる。
1906年(明治39年) 赤間警察署が東郷警察署として、新築移転となる。
1909年(明治42年) 九州帝国鉄道の城山トンネルが開通(赤間~海老津間)。
      伊豆凡夫(富士原出身)、陸軍少将となる。
1910年(明治43年) 陵厳寺の吉田良春、若松石炭商組合組合長となる。

(大正時代)
1913年(大正2年) 鹿児島本線東郷駅が開業。 
五十君弘太郎(赤間出身)、陸軍少将となる。
1914年(大正3年) 第1次世界大戦始まる。
1919年(大正4年) 県立宗像中学校が開校。 
1921年(大正10年) 鹿児島本線赤間~東郷間複線化。
1922年(大正11年) 陵厳寺耕地整理組合を設立。
1926年(大正15年) 石丸耕地整理組合を設立。

(昭和時代)
1927年(昭和2年) 豪雨のため、鹿児島本線赤間~海老津間が一時不通に。
1931年(昭和6年) 赤間町長に松尾常助が当選。
      満州事変始まる。(9月18日) 
1932年(昭和7年)  東郷~海老津間の国道の開通式。
1935年(昭和10年)  赤間に舞鶴バス株式会社が移転。
       県農士道場宗像塾を陵厳寺に設置。 赤間町長に松尾常助が再選。
       出光万兵衛(赤間出身)、海軍中将になる。
1936年(昭和11年) 赤間家畜市場が落成し開場式。
       県農士道場宗像塾本館と付属建物が陵厳寺に完成。
       城山頂上に常夜燈設置。(11月)
1937年(昭和12年) 出光佐三(赤間出身)、貴族院多額納税者議員になる。
1938年(昭和13年) 赤間駅前に、5ケ町村連合農業倉庫完成。
1939年(昭和14年) 松尾昭平、福田賞を授与される。
※福田賞とは、赤間の医者・福田玄昶が赤間小学校の成績優秀者に対し、すずり箱1個を贈呈したもので、校長名で賞状が授与された。前後何年間、この福田賞があったかは不明。
1940年(昭和15年)立石良雄(名残出身)、朝鮮商工会議所副会頭に選任

1941年(昭和16年) 福田純也・城也・玄哲3人で65坪、吉村久治1人で55坪の土地を赤間公民館建設用地として寄贈。
1944年(昭和19年) 赤間町長に、石松治三郎(田久)。
1945年(昭和20年) 福岡大空襲。(6月19日)

(昭和時代・戦後)
1946年(昭和21年) 県立農事講習所を陵厳寺に設置。(6月4日)
公職追放で石松治三郎町長を始め各町村長が辞任。(11月13日)
1947年(昭和22年) 小中学校6・3制、男女共学の新学制開始。(4月1日)
初の統一地方選挙で赤間町長に立石善蔵が当選。(4月5日)
     新制の東部中学校開校。(4月22日)
     立石善蔵赤間町長の病気退職を町議会が承認。(8月20日)
     赤間遺族会が戦後初めて戦没者慰霊祭を浄万寺で施行。(9月27日)
     赤間町長に石松敏が当選。(10月26日)
     赤間町共同募金会が司座で郷土園芸大会を開催。(12月20日)
1948年(昭和23年) 自治体警察が発足(1月1日)
     赤間司座が61歳以上の住民を歌舞伎に招待。(1月30日)
     東部中学校で第1回卒業式、農業伝習農場講堂にて。卒業生24名。(3月26日)
     赤間町農業共同組合創立総会を開催。(3月28日)
1949年(昭和24年) 東部中学校の校名が城山中学校に。(2月1日)
     米軍政部ライマンが城山中学校を視察。(2月24日)
     城山中学校卒業式。卒業生77人。(3月22日)
     国鉄城山トンネル内や釣川橋などで大量のダイナマイト見つかる。(6月27日)
     城山中学校文化祭で好評だった英語劇マクベスが、勤労感謝の日の町の催しで再度上演され町民に大好評。(11月23日)
1950年(昭和25年) 城山中学校卒業式。卒業生181人。(3月19日)
     城山中学校の校歌が森政教校長の作詞でできる。(4月5日)

1951年(昭和26年) 朝鮮戦争始まる。(6月25日) 城山中学校新校舎が赤間小学校横に完成。(9月1日)  
赤間町長に山本哲が当選。(10月26日)
1952年(昭和27年) 自治警赤間警察署が廃止され国家地方警察宗像地区警察に編入 (4月1日)
1953年(昭和28年) NHKが日本初テレビ放送開始。(2月1日)
豪雨で不通だった鹿児島本線赤間・海老津間が11日ぶりに全通 (7月7日)
      赤間で急行雲仙号が転覆し10数人重軽傷。(12月16日)
1954年(昭和29年) 吉武村、赤間町、河東村、南郷村、東郷町、神興村の一部(村山田)が合併し、宗像町が誕生。(4月1日)
1955年(昭和30年) 森田喜三(富士原)、宗像町議会議長に。(4月5日)  
宗像町赤間、河東と津屋崎町でジフテリア蔓延、患者27人。(10月20日)
1956年(昭和31年) 米軍ジープが町民3人をはね、赤間の「魔の国道」から線路に転落。(2月13日)、防護柵を設置。(9月30日)
      ※赤間・海老津間道路は「魔の国道」と呼ばれ、昭和28年、米軍牽引車が転落、急行“雲仙”が乗り上げ、重軽傷11名を生じた。
1957年(昭和32年) 城山中学校の体育館が完成。(4月1日)
      町立赤間保育園が開園。(8月1日)
1958年(昭和33年) 関門国道トンネルが開通。(3月9日)
宗像町町営住宅が、赤間・見晴などに完成。(3月31日)
1959年(昭和34年) 宗像町東部地区(赤間・吉武)農山村振興基本計画ができ、県に特別助成を申請。(3月6日)
      森田喜三(富士原)、宗像町議会議長に再選。(4月1日)
      赤間・東郷小学校にプール完成。(7月1日)
1960年(昭和35年)宗像町の国勢人口、2万1417人。(11月18日) 八幡製鉄が住宅400戸建設計画のうち63戸着工で地鎮祭。(12月6日)

1961年(昭和36年) 宗像町議会全員協議会で赤間に福岡学芸大学の誘致を決める。(1月5日)
      福岡学芸大学全学教授会が赤間に統合を決める。(4月16日)
1962年(昭和37年) 四塚連山縦走路が整備され城山で山開き。(4月1日)
      宗像大社みあれ祭、約400年ぶりに復活。(9月23日)
1963年(昭和38年) 赤間祇園祭に釣川河畔で花火大会を開催。(7月14日)
      学芸大学統合起工式に出席した出光佐三氏、城山中学校で講演。(10月22日)
1964年(昭和39年) 学芸大学用地内の石丸町営住宅20戸を解体し、土穴に建設(4月16日)
      松前重義東海大学学長が「田久に短大新設」と語る。(10月6日)
1965年(昭和40年) 宗像大社宝物館が開館。(1月1日)
元八幡化学工業社長の安永渡平(赤間出身)、逝去。(4月11日)
      城山中学で集団赤痢。(5月12日)
      福岡学芸大学赤間統合校舎で授業開始。(11月2日)
      城山中学校女子バレーチームが九州大会で優勝。(11月3日)
1966年(昭和41年) 福岡学芸大学が福岡教育大学と改称。(4月1日)
      東海大学福岡校舎が田久に開校。(4月1日)
      田久橋が完成して渡り初め。(6月10日)   豪雨で城山峠が土砂崩れ、国鉄・国道3号、電話が麻痺(7月1日~7月9日)
      世界最大のタンカー出光丸(20万9千トン)進水式。(9月5日)
1967年(昭和42年) 田久に赤間小学校が完成し移転。(1月10日)
      東海第五高校の新校舎完成。(4月12日)
      釣川に赤間大橋と辻田橋が完成。(6月10日)
      辻田橋ぎわに寛政3年の「一番定石」を復元。         
西鉄バス赤間営業所が完成し、落成式。(11月21日)
1968年(昭和43年) 自由が丘行き西鉄バスが運行開始。(5月9日)
      校区民の奉仕で城山中学校に土俵が完成。(10月21日)
1969年(昭和44年) 赤間小学校のプール用地の樹木200本移植。(5月7日)
      宗像町農協の赤間・吉武支所落成。(5月22日)
      大井浄水場完成、給水人口3万5千人。(8月31人)
1970年(昭和45年)八幡・富士両製鉄が合併し、新日本製鉄発足。(3月31日) 
赤間郵便局が西鉄バス赤間営業所西側に新築移転。(3月24日) 
城山中学校で公職選挙法を基準に生徒会役員選挙。(12月21日)
      出光佳代子(22歳、赤間)、ミス福岡に。

1971年(昭和46年) 城山団地造成地で石室発掘。(3月16日)
      西日本最大の日の里団地完成式。(5月20日)
      赤間小学校で鍵っ子学級開設。(9月6日)
1972年(昭和47年) 三郎丸に赤間ケ丘2区と城山区が誕生。(4月1日)
      宗像青年会議所が城山登山道を整備。(6月18日)
1973年(昭和48年) 宗像町の人口3万5千人超、県下最大の町。(1月31日)石丸で宗像バイバスの橋げた架設工事開始。(9月16日)
      葉山団地に街路灯設置工事開始。(11月9日)
1974年(昭和49年) 宗像信用組合赤間駅前支店完成。(1月23日)
      赤間で流行性肝炎が集団発生、保育園児30人感染。(8月12日)

1975年(昭和50年) 城山中学校2期校舎建設で特別教室完成。(4月1日)
1976年(昭和51年) 福岡教育大幼稚園の5教諭が激務と職業病で辞表。(3月31日) 
ウイルスによる下痢で赤間小など9校で患者581人。(5月19日) 
宗像町町長に天野敏樹が初当選。(5月23日)
宗像町の第1回文化展開始。(11月4日)
1977年(昭和52年) 城山中学校の体育館完成。(3月28日)老人福祉センター宗寿園が稲元に開園。(4月20日)
      石丸の造成地から古墳と貯蔵穴が見つかる。(7月18日)
1978年(昭和53年) 城山中学校のプール完成。(8月17日) 
      福岡市で給水制限。(6月1日~翌年3月25日まで)
      宗像町で給水制限。(8月17日~9月30日まで)   
 出光佐三(出光興産店主)、名誉町民第1号となる。(11月16日)                       
1979年(昭和54年) 重度障害児の為の母子学級を城山中学校に開設。(4月1日)
心身障害児通所施設「のぞみ園」、赤間に開園。(5月16日)
1980年(昭和55年) 東海第五高校、高校柔道日本一となる。(7月25日)
      城山中学校吹奏楽部が全国大会で銀賞。(11月2日)
      城山頂上に城山登山道整備ボランティア事業記念碑設置。
                 
1981年(昭和56年) 出光佐三(名誉町民)、逝去。(3月7日)
      県道直方線赤間上町交差点の拡幅工事開始。(4月1日)
      宗像町が市に昇格、市の花カノコユリ、木クスノキ。(4月1日)
1982年(昭和57年) 自由が丘中学校が開校、城山中学校から分離。(4月7日) 
第1回釣川まつりが中央中学校跡地で開催。(8月28日) 
      赤間駅の橋上駅舎完成。(10月18日)
1983年(昭和58年) 城山中学校の武道館完成。(3月1日)
      赤間に、「働く婦人の家」開館。(4月1日)
1984年(昭和59年) 市民学習ネットワークがスタート。(4月14日)
合島弘(赤間)が宗像町議会議長に。(6月29日)
      冨地原梅木遺跡から国産最古とみられる鉄戈が出土。(11月1日)
1985年(昭和60年) 赤間・勝屋酒造の蔵開き祭この年より始まる。(2月11日)
赤間西小学校開校、赤間小学校から分離。(4月5日)
      故出光佐三生誕100年祭で生家にて映画公開。(8月17日)
      神山裕紀(赤間出身)、清水建設(株)副社長となる。
1986年(昭和61年) 赤間小学校の校歌と校章が決まる。(2月27日)
      東海第五高校に松前記念体育館が完成。(8月30日)
1987年(昭和62年) 総合市民センターの愛称が「宗像ユリックス」に決まる。(4月1日)
宗像市が50年前の写真集「郷土あかま」を復刻。(3月31日)
宗像市が「城山を守る会」に感謝状贈呈。(9月11日)
1988年(昭和63年) JR教育大前駅が赤間の舞鶴橋横に開業。(3月13日)
      東海第五高校が全国高校柔道選手権大会で優勝。(3月20日)
      城山頂上に「赤馬山古城址」案内板設置。(3月)
      宗像市長選挙で瀧口凡夫、初当選。(5月22日) 
1989年(平成1年) コミュニティセンター自由が丘会館落成式。(4月28日)
宗像消防署赤間出張所が徳重に完成。(10月11日)
      東海大学福岡教養部の閉校式、短大への移行式。(12月22日)                    
1990年(平成2年) 宗像市が「赤間宿の町並み案内板」設置。(3月)
      宗像市が赤間街道に灯篭17基を設置。(4月)
      宗像市シルバー人材センター設立。(4月1日)
      城山まつり、この年より開始。(4月29日)

1991年(平成3年) 東海第五高校、全国高校サッカー大会3位。(1月)
      松尾昭夫(陵厳寺)、宗像町議会議長に。(5月9日)
      市総合公園内に「ゆうゆうプール」完成、オープン。(7月13日)
1992年(平成4年) 徳重高田遺跡から40基余りの墓見つかり説明会。(8月29日) 冨地原原田遺跡から平安時代の地割れを確認。(10月21日)
1993年(平成5年) 冨地原の研究学園都市整備に約15億円、公園に5億円が決まる。(3月19日)
      自由が丘南小学校が開校。(4月1日)
      旧赤間国民学校の昭和20年卒業生40人が48年ぶりに修学旅行に。
      (5月31日)
1994年(平成6年) 赤間の熊越池公園完成、記念イベント。(4月23日)
      JAむなかたのライスセンターが冨士原に完成、稼動。(8月16日)
1995年(平成7年)阪神大震災。(1月17日) 
東京の地下鉄でサリン事件(3月20日)
      城山中学校にスクールカウンセラー設置。(6月30日)
      冨地原の研究学園都市(リサーチパーク)で、BPAが第1号着工。
1996年(平成8年) 田久瓜ケ坂遺跡で特製円筒棺見つかる。(9月26日)
      冨地原のリサーチパークで5社の研究施設が完成。(10月1日)
1997年(平成9年) 赤間公民館、落成式。(9月14日)  唐津街道赤間宿と原町宿で「九州大道芸祭in宗像」開催。(9月23日)
1998年(平成10年)宗像市がシンボルマークを策定。(4月1日)
      徳重に「オサダ宗像店」開業。(12月4日、 年閉店)
1999年(平成11年)「おどってん祭」、宗像ユリックスにて。(8月7日)
      栄町に「ゆめタウン宗像」開業。(11月19日)
2000年(平成12年)吉留にグローバルアリーナ開業。(4月1日)
宗像市長選挙で、原田慎太郎初当選。(5月22日)
      土穴に「くりえいと宗像」開業。(11月15日)

2001年(平成13年)九州国際看護大で初の入学式、1期生114人。(4月)
      西山晃平(15歳、石丸)、全国中学校剣道大会で優勝。(8月)
2002年(平成14年)宗像市こども芸術祭、ユリックスにて。(2月10日)
      毎月10日を学校の日で市内小中学校授業公開。(5月10日)
2003年(平成15年)宗像市と玄海町が合併、人口92200人。(4月1日)
      第5回おどってん祭(第7回九州大道芸祭)。(9月23日)
岩見利男(赤間出身、54歳)、宮本武蔵「二天一流」11代目襲名。
2004年(平成16年)後藤道治(陵厳寺、71歳)、城山登山1万回達成。(5月)
      出光仁美(赤間、20歳)、村田英雄音楽祭で最優秀賞。(9月)


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