Tier’s Bench

2021/05/07(金)22:39

いじめについて考える。  いじめられる側には何の非もない。

社会、政治(9)

いじめについて考える  僕はこれまで、いじめにあったことはありませんでした。もちろん、いじめたこ ともありません。  しかし、昨年から、理不尽いじめにあっていて、くだらないのであまり考えずに 放置していたのですが、僕がもう2年も指導している生徒さんが最近、虐めにあって 不登校になってしまい、考えざるを得なくなったのです。  結論から言うと、いじめる側に非があって、そのことを覆すことができないため、 その非を知っている人を攻撃して、その非をうやむやにしたいのです。したがって、 いじめは、いじめられる側には何の非もなく、いじめる側に非はあるのです。  昨年の正月明け、初仕事に塾へ行くと、僕の本棚にいつもあるはずのテキストがあ りません。塾内の他の本棚を探すと、講師が共用するテキストの中に僕の私物のテキ ストはありました。仕事が終わって、そのテキストを僕の棚に戻すと、翌日もテキス トは僕の棚から消えていて、共用の棚に戻っています。  誰がやっているのかはすぐに分かりました。共用の棚をしげしげと眺めている男が いたからです。忙しい中、僕の棚を良くチェックしてみると紛失しているテキストも ありました。迷惑なので上司に報告しました。  この男は、私を共用のテキストを個人の棚に持って行ったとんでもない男だと決め つけ、無言で僕の私物を荒らしたのです。当人は否定しますが、紛失したテキストが 無くなったのが疑われても仕方ありません。しかし、当人は悪いことをしたという意 識はなく、むしろ、正しいことをしているという大義があるから厄介です。共用の物を 勝手に持ち出した者が悪いと思い込んでいるのです。  以来、泥棒を疑われたこの男は、他人の物に触れた事実は覆せないので、どうでも良 いことで自分の優位性を誇示しようとします。ストーカーのように僕の後をつけ、つま らないことで難癖をつけるようになりました。あ~めんどくさい....  このようにいじめられる側には、非は1ミリも無いのです。いじめる側に問題があるの です。  ちなみにこの男、僕と同年代で,元学校の先生です。なるほど.....

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