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2007.08.14
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カテゴリ:本のこと
 今、落語ブームなので、安藤鶴夫をという名前も聞かれるようになりました。
義太夫の八代目竹本都太夫の長男として生まれ、都新聞の記者から、小説家になり、芸道について造詣が深かったので、とても幅広い活躍をされて人です。
 その安藤鶴夫さんがラジオで話したことをまとめた本、 『昔・東京の町の売り声』 (旺文社文庫 昭和53年発行)に舟木一夫のデビュー当時のエピソードが載っています。
 昭和38年は「高校3年生」が出た年です。
 安藤鶴夫さんの玄関に、小太りの男の人と、つめえりの清潔でかわいい学生服の青年が訪ねてきました。
 太った人は、当時の巨人軍の応援団長だった、関矢文栄さんと、青年は舟木一夫でした。
 この舟木一夫という青年が、レコードを出したから、ぜひ聞いてほしいということで、「高校3年生」のレコードをかけのです。
「美しい、抒情性にみちているようなうたいぶりに、感動した」と安藤鶴夫さんは書いています。
 この巨人軍の応援団長関矢さんと舟木一夫との出会いは、四谷から赤坂にぬける、上智大学の前の土手ぞいの外堀公園でした。その下は、もと江戸城のお堀で、グランドになっています。
 応援団長の関矢さんは、応援の声を鍛えるため、その外堀公園に来たのです。
そこに、一人の青年がいて、フランク永井の歌を歌っていました。デビュー前の舟木一夫で、そこで歌のレッスンをしていたのです。
 その話を聞いて、「がんばれよ」と声をかけ、別れましたが、次に逢ったのは、関矢さんの近所の風呂屋でした。そこのしまい風呂の湯ぶねに顔だけのせて、舟木一夫青年は、やはりフランク永井の歌を歌っていました。
 舟木一夫は、その近くに間借りしていて、その風呂屋にきては、歌を歌っていたのです。
そこで、その風呂屋の主人も奥さんも、そこのお客さんも、みんなが、舟木一夫青年を応援していたのです。
 そういう縁で、そこ、若葉町というのですが、その若葉町界隈の住人がこぞって、舟木一夫を応援するようになりました。町ぐるみの応援団です。
 安藤鶴夫さんは、昔は、例えば自分の育った浅草などでは、よくあった話だが、と次にように書いています。
 「みんな、自分のことしか考えないこの頃の御時世にあって、これは、まことに、心あたたまる人情話ではないか。」
 私は、この話がとても好きで、それに住まいが近いこともあって、舟木一夫というとすぐこの話を思い出します。
 和は、外堀公園はよく散歩します。若葉町へも時々買い物に行きます。昨日書いた、舟木一夫後援会の事務所は四谷よりです。
 安藤鶴夫さんは、その当時担当していた、ニッポン放送の「ラジオエッセイ」に関矢文栄さんと舟木一夫を呼んで、このことをお話したのです。昭和38年の8月20日です。
 その後、舟木一夫は、とんでもなく忙しくなります。それでも、時間をみては、その風呂屋に行って、そのしまい風呂で歌を歌いました。今度は、フランク永井の歌ではなく、自分の歌を歌いました。






Last updated  2007.08.14 18:04:05
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