上高田の寺町を歩く会、午前中だったので、曇っていて少し寒かったですが、雨に降られず、無事終了しました。
話は、まあまあだったです。見学場所が多いので、持ち時間が少ないです。
大急ぎで話してしまいましたが、なんとか、聞いてもらえたのでよかったです。
インプットしたことは、誰かに話してみる、確かに、理解度が分かります。今回も勉強したところは、いろいろ知識になりました。
萬昌院功運寺では、お住職にお話をお願いしました。話が上手だな、とつくづく思いました。思わず聞きたくなります。
萬昌院功運寺は、道元禅師の教えをまもる曹洞宗のお寺ですが、久宝山萬昌院と竜谷山功運寺の両寺が合併したものです。
久宝山萬昌院は、もともとは江戸城半蔵門近くにありましたが、市谷田町、筑土八幡町(いずれも現在の新宿区)と移転し、大正3年(1915)にこちらに引っ越してきました。
功運寺は、江戸城桜田門外にありましたが、三田(芝三田功運町)に移り、大正11年(1922)に当地に移転してきました。
そして、昭和23年(1948)に合併し、龍宝山萬昌院功運寺となりました。
お寺の引っ越しは大変だっただろう想像します。
都市計画などで行政から移転を告げられ、その移転の費用は、すべて、お寺持ちだったそうです。牛に大八車を引かせて運ぶのだのだそうですが、東京は坂が多いです。
そうした坂のところには、押したり、引っ張ったりを引き受ける人が待っていたそうです。もちろん有料です。何度も往復したのでしょう。
境内のお墓をみただけで、もうできない、と思ってしまいます。
墓地には、この前書いた、吉良家14代から17代の墓があります。吉良上野介義央は吉良家17代目に当ります。永井家の宝篋印塔や、著名な人物では、旗本白柄組頭領の水野十郎左衛門。浮世絵師の歌川豊国。吉良上野介の侍医でもあった外科医の栗崎道有。直心影流の祖、長沼国郷、長沼活然斉綱郷。作家の林芙美子などの墓もあります。
また、入口近く本堂に向かって左にある鐘楼と鐘は、萬昌院が、筑土八幡町にあった時のものを運んで来て建てたもので、火事にも、戦災にもあわず、300年ぐらい前のものだそうです。
