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2009.03.07
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2007年3月に退職して、4年になります。
退職したらああしよう、こうしようと思っていたことは、ほとんど実現していません。 そのかわり、思ってもいなかった展開をして、2011年の4月を迎えようとしています。 そうした時に起きた東日本大震災。 私自身、直接的な被害は受けていませんが、3月期末の「予定」がすべて中止になり、おかげで家にいて、少し考える時間ができました。 仕事が終わったすぐの時にもそういう時間があったのですが、その時はまだ仕事を引きずっていました。 しかし、なんとか自分の暮らしを築こうと、時間割りを作って、自分らしい時間を持とうとしていました。 夏休みの季節が終わるころ、誘われて環境の講座を受講し、その縁で、環境のNPO団体の手伝いをすることなりました。 さらに、9月に美術館で開催されていた対話型鑑賞会に応募して参加したことから、美術館でのボランティアをはじめることになりました。 もうひとつ、2008年の正月に近所にある歴史博物館のボランティアガイドの募集があるのを区報で見て、その研修を受けてボランティアガイドを始めました。 それらは、よく考えるとずっとやっていた「仕事」に通じるものがあったので、ごく自然に入ることができました。 やっていた仕事のいいとこ取りといった感じもしました。 でも、そのようによくばったことで、会社に勤めていたときよりもスケジュール表が黒く埋まってしまいました。忙しくなってしまいました。 東日本震災のテレビ報道を見ながら、今、思うのは、これでいいのか。 もう先がないのに、忙しく動いて、それはただ自分の現実から逃げているだけではないのか。本当にしたいことをしているのか、そんなことを考えます。 そうした思いもまた、日常が戻れば、元に帰ってしまうかもしれませんが。 このブログ「美作」には、仕事を終えて4年の記録があります。できるだけ毎日という思いから、短時間で書いて載せ、誤字脱字、意味不明、ただどこからか引っ張ってきただけではないかといった文書ばかりです。 一度見直して修正したいです。 「美作」は、ちょうど写真が容量いっぱいで使えなくなったところなので、これはここで終了します。 「美作」を見てくださっていた方、本当にありがとうございました。御礼申し上げます。 なお新しくと言っても相も変わらぬ同じスタイルですが、下記で新しくカフェ「道みち」を開いています。よろしかったらお立ち寄りください。 http://uzo800.blog.fc2.com/
2011.02.24
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「シジミから考える地球温暖化」という講座の進行をしました。
講師は、シジミ博士と言われる、学習院女子大学教授の品川明さんです。 品川講師のとてもユニークです。前掛けをして、動きながら手を動かしながら講義をすすめます。質問を出して、良い答えだと手をパッチンと鳴らします。いい音です。 学習は体験学習、講師は教えるのでなく、答えを引き出す、それが講座と言われます。 知っている知識を披露する講座は古い、身にならないということです。 体験学習については次の言葉があります。 「聞いたことは忘れる。」 「見たことは覚える。」 「体験したことは理解する。」 聞くだけの講座は古いし、身に付かないのです。特に若いというか子どもにとっては「体験」が大事です。 今日の講座は、体験にはなりにくいものでしたが、シジミとハマグリを持ってこられ、それを茹でて、汁にして味わうことをしました。 手に持って、じっくり観察することもしました。 ハマグリの口はどこか、わかりますか。 品川講師は、冷凍のシジミを持ってこられました。 それを茹でたのですが、冷凍の前に何をしたか。 つまりは美味しいシジミの料理に結びつくので、箇条書きにします。 (1)水洗いをしっかり行う。このときに貝が開いているものは取り除く。 (2)洗ったシジミを皿に広げて、水に濡らしたクッキングペーパーをかぶせ3時間温室に置く。 (これは、空気中に置いておくと呼吸が出来ず、シジミの旨み成分が増すのだということです。) (3)シジミを軽く水洗いして、保存パックに入れ冷凍する。1晩冷凍させておけば良いとのこと。 (冷凍することで旨み成分、オルニチンを増やすことができるとのだそうです) シジミを味わいながら、講座を受講すると、お話も身になるような気がします。 この講座は、エコの講座なので、そのことはしかっかり受けとって欲しいです。 すごく簡単に言えば、「シジミは、窒素やリンなどを体内に保持してくれるので、干潟や湖の環境になくてはならない存在。それを人間が食べることで、間接的に人間も環境保全に協力できる」というものです。 さらに「シジミはおいしいから。グリコーゲン含有量も横綱級で、アラニンなどアミノ酸も多く含まれているし、美肌効果も期待できるので、もっと食べた方が良いですよ」ということです。 これはシジミに限らず、食べるとき、その食材が「どうしてこんな味なんだろう」、「どうしておいしいのだろう」ということをちょっと考えてみてほしい。 「食べる」ことは、単にお腹いっぱいにすれば良いのではなく、その食材の持っている味のこと、シジミが豚などのその生き物だったら、生き物が育った環境のこと、さらに生産者さんのことなどを、考えながら食べることが大事だと品川講師はお話されたのです。 この考え方を感じることが、この講座の目標だったと思います。 とても面白い、それこそ血糖値が下がる、楽しい講座でした。
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2011.02.24 20:18:01
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2011.01.25
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環境の講座で「まちづくりから考える」を受講した人が、そのことをブログに書かれていて、それを読んで、少し触発されました。
まちがあって(ここで言うまちは、都市のまちですが)、都市に向かって人が増えて、それで郊外に家が出来、そこに大きなお店が出来て、どんどんまちが拡散していきました。 そうして商業は、郊外をめざすようになります。 そして、それを可能にしたのは、「車」です。 「車」については、自動車産業が落ち込むと日本経済は破綻する、そいう空気があって、厳しい論調は少ないです。 環境問題で少し問題にされた、排気ガスについても、ガソリンから電気自動車になって、環境にもやさしくなるから、自動車はますます安全でそして必要、そういう感じです。 いまだに郊外に大きなショッピンセンターが出来、近くにマンションが建ちます。近くでなくても車で買い物に行く人は多い。郊外に買い物に行くため、もともとあった商店街はすたれ、シャッターを下ろし、寂しいまちになる。 都市は大きくなって、移動は車、そうすると、人の出会いも薄い。縁が結ばれないのです。 まちは、車中心に作られます。歩道橋。今でこそ少なくなって来ましたが、車が通るから人はその車を避けて、上を歩きなさい。車の量が多くなると、歩道は狭くなります。 移動が便利になるように、道が作られます。自動車のための道です。 新宿も新宿御苑の脇を抜けて渋谷の方へ抜ける道がも何年もかかって作られています。 以前、三鷹の先の玉川上水を歩いた時、道路予定の所がありました。この自然はなくなるのか。また歩くのが大変になる。 「歩く権利」ということを言われました。 「歩く権利」を主張しよう。歩ける範囲の、コミュニティ溢れるまちを作ろう。そうすると、人との縁がまた生まれて、血の通ったまちが出来る。 拡散するのでなく、減小するまちづくり。 歩くことは健康にも良いのです。 人間の復活は、車から、人間の権利を取り戻すことではないかな、と思います。 そういう、車を少し追い出すまちづくり。 高速道路はなくしましょう。 高速道路がなくなると、その下によくある川やお濠が、キレイになってよみがえります。よく見えるから、高速道路がなくなり見晴らしが良くなるので、水辺もキレイになるのです。水辺がキレイになるとまちがいきいきしてきます。まちがいきいきしてくると、人もいきいきします。 車に少し遠慮してもらう。自転車の道を作って、自転車の移動を安全にする。歩道を自転車が走るのを止めるわけです。 「車」から、人の権利を勝ち取りたいです。 都市はどこまで自動車を減らせるか、それが、都市の大きなテーマです。
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2011.01.25 22:54:57
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2011.01.24
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対話式鑑賞会、今日は、私の担当の生徒は3名でした。学校は4名で組んだようですが、1名が風邪でお休みでした。
3名と絵を見ながら回ったのですが、勉強出来る生徒らしくきちんと話をしてくれて、70分でしたが、アッという間に時間が過ぎました。 良かった、鑑賞会でした。 あと2回あります。 一応これで、終わりにしようかと思っているのですが、迷います。 こうした絵画鑑賞をしているので、絵画に興味が行って勉強をします。 止めると、それがなくなる気がします。 細々でも入れていただこうか、という気がしますが、みなさん一緒懸命勉強されて、勉強会も開かれているのですが、私はそれに参加できません。 そうした態度で、子どもとの対話の鑑賞会に参加するのは、やはりまずいだろうな、と思います。 迷います。 でも何か止めないと、どれも中途半端になります。 止める。捨てる。それができないので、だらだら人生を送ってしまます。
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2011.01.24 15:50:52
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2011.01.23
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今朝、NHKテレビ「日曜美術館」を見ました。「千年の花を咲かせたい~小泉淳作・東大寺ふすま絵に挑む~」といった内容でした。
小泉淳作さんは86歳です。 昨年、5年がかりで奈良・華厳宗大本山、東大寺本坊のふすま絵を完成させた、そのドキュメントでした。 実は、小泉淳作さんを知りませんでした。 先日、冬の旅で京都に行った時、まず建仁寺に寄りました。日帰りの旅だったので、特別公開だけを見るつもりで行ったのですが、最初でよく分からす、誘われるまま建仁寺本堂の方へ入りました。 そこで、天井画の「双龍図」を見ました。白と黒のとても迫力の絵だと思ったのですが、最近描かれた絵だと思ってあまり、深くは見ませんでした。 京都へ行くとついつい、歴史のある、古いものを求めてしまいます。 描いた人の名前もよく見ないできたのですが、龍の絵は、印象に残っています。 この龍が実は、小泉淳作さんの作品だったのです。 びっくりしました。もっとしっかり見てくると良かったと後悔しました。 天井に大きく描かれていたのですが、畳108枚分の大きさがあったのです。それも一人で仕上げたのだそうで、その縁から、東大寺のふすま絵に結びついたのです。 小泉淳作さんは、美術団体に属することなく、一人独自の画境を切り開いてきた「孤高の画家」だということで、最後に、作品にサインもしない、私が描いたと主張することはキライだと話しておられました。 そういうことで、どちらかというと、あまりポピュラーではない人なのかもしれません。 でもこのふすま絵で、昨年、高島屋で展覧会もされているし、私が知らないだけかもしれません。 小泉さんは、東大寺、本坊40枚分のふすまを、桜や蓮(はす)の花々で埋め尽くす作品に挑まれました。 86歳高齢です。一度途中で入院もされています。 桜は描いた事がない、嫌いだと話されます。桜の絵、どれも誰が描いたか分からない。同じように見える。特色が出せない、そんな風に。 蓮の花は好きで、40代から何枚も何枚もスケッチをされています。 細かく観察して、そして描く。深い絵です。 最初文学にあこがれて、慶応大学の仏文科へ入学。安岡章太郎さんなどと出会い、その安岡章太郎さんの作品を見て、文学はダメだ、それで好きだった絵の方へ変わられたのだそうです。 芸大を出て、しばらくはデザインの仕事をしながら絵を描いてこられ、そのデザイナーの仕事を辞めることができたのがもう50台。 「画家としてやっていけるようになったら、70歳を過ぎていた。」 正座してテレビを見ました。
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2011.01.23 17:53:19
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2011.01.17
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朝、8時過ぎに、損保ジャパンビル42階の東郷青児美術館へ行きました。
窓から外を見ると、東京湾の水が金色に光っていました。こんなにすっきりと見られることは珍しいです。だいたいこんなに早く美術館には来ません。 東京タワーがあってその向こうに海が見えるのです。 左を見ると、東京スカイツリーも、はっきりその姿を見せます。 東京が一望といった感じです。 中間あたりに千葉の幕張も望めます。 そして、近くの新宿御苑もよく見えます。 家も見えそうです。 気持ちが良くなります。 広く見渡せる、気持ちが晴れます。 今日は、小学4年生の美術鑑賞会です。 展示は「櫃田伸也展―通りすぎた風景―」です。 具象と抽象の間。何か話してくれると良いのですが、話してくれないと、困ると思っていました。 今日はおとなしい子たちでした。特に3人の女の子があまり話をしないのです。 対話式鑑賞が終わって、その女の子は、気に入った作品の感想を書くのですが、その絵で選んだのは、グランマ・モーゼスの作品。今日、見なかった作品です。 少し落ち込みます。反省ですね。 窓からの景色も見せたのですが、印象に残ってくれれば、いいのですが。
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2011.01.17 19:39:26
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2011.01.16
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14日、京都へ行き、知恩院で、三門に上り、中を拝観し、境内を歩きました。
知恩院は、承安5(1175)年、法然上人が浄土宗の総本山として開基したお寺です。 山号は華頂山といい、「華頂山知恩教院大谷寺」(かちょうざん・ちおんきょういん・おおたにでら)が正式名称です。 華頂山というには、東山連峰の1つの名称です。そこにあるということでしょう。 法然上人がこの地で入滅したときには、簡素な庵があるだけの寺だったようですが、後に秀吉や家康の庇護を受けて、現在の壮大な堂宇が構築されました。 特に、徳川幕府は、ことあらば戦用の城郭に転用すべく多大な援助を惜しまなかったようで、境内の至る所に「丸に三つ葉葵」の紋所が目につきます。 紅白が終わって、NHKの「行く年来る年」知恩院の除夜の鐘はよく映されます。 大鐘楼です。 三門から、御影堂にお参りして、大鐘楼に行きました。 大きいな、と話をしてぐるりと回ると、山道が続いて、そこに「ほーたるのいわや1丁」と道標がありました。 この奥で、ホタルが出るのかなと思って、帰ろうとすると、一人の男性がやってきて、「せっかくここまで来たのだから、この先の<ほーたるのいわや>まで行った方が良いよ」と言われます。 そうですか、と一緒に山道を少し登りました。 左手に「法垂窟」と刻まれた大きな碑が見えてきました。 そこに至る石段をのぼると、碑の手前に三体の石仏を祀った洞窟がありました。 洞窟の中には水がわいていました。 「吉水」ということです。「 吉水 」 とは 清水が湧く泉の地ということです。 案内してくれた男性の説明では、「比叡山で修行を終えた法然が、この洞窟で夢枕に現れた唐の善導大師から浄土の教えを授かり、吉水の草庵を結んで念仏往生を広めた」というとても大事な場所というkとでした。 法然と善導が夢の中で対面したという「圓光大師善導大師真葛ケ原御対面之図」の石碑、があり、さらに「法然上人・親鸞聖人御旧蹟」の石碑もありました。 この2人の憎の出会いは、1201年です。 「たとえ法然上人にだまされて、念仏したために地獄へ堕ちたとしても、決して後悔はいたしません」(歎異抄の現代語訳)とあります。このとき、法然上人69歳、親鸞聖人29歳でした。 自力修行の道を断念した親鸞聖人は、他力本願こそが自らが救われていく唯一の道であることを、この吉水で法然上人から学びました。 後で調べるとこの「法垂窟」は、青蓮院の飛び地境内だそうです。 法然 は比叡山での修行を終えると、法垂窟 に 「 吉水草庵 」 ( よしみずそうあん ) を結び、「 専修念仏 」 ( せんじゅねんぶつ ひたすらに念仏を唱えると阿弥陀様に救われる ) を説いて 庶民の救済 に力を注いだということです。 そうするとこの法垂窟は、浄土宗・浄土真宗の聖地ともいえるところなのに、忘れられたかのようにひっそりとしています。ついつい本当なのかな、という気持ちもしてきますが、信じたいと思います。 法然は美作国で生まれました。 岡山から津山に走る津山線の津山よりに誕生寺という駅があり、そこが法然誕生の地です。何度も汽車で通ったのですが、一度も降りたことがありません。 今度、誕生寺へ行ってみたいと思っています。
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2011.01.16 18:19:52
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2011.01.08
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初釜へ行きました。
正月が来たという思いがします。 別世界です。女性はほぼ100%着物でした。男性は黒いスーツ。 私はチャコールグレイのスーツ。 作法は、まったく知らいないで、やはり疲れます。 薄茶点前は、干菓子がくばられ、早めに食べてしまいました。 失敗。でもこれは、お菓子の分配が早すぎたと思います。 作法を知らない男性が出るのは、あまり良いことではありません。 どういうわけか、男尊女卑の性格が生きています。 男性が、少数ということがあるのでしょうが、正客の席につかえられます。 これはかなりつらいです。作法を知らないなとみなすぐ分かるので、見ている人はいないのですが、見られているような気がして冷や汗ものです。 茶道、習っておきたかった、とつくづく思います。 でもずいぶんお金がかかっただろうな、とも思い、やはりやれなかったなと納得しています。 今日の正客の人は、とても感じの良い紳士でした。穏やかな笑顔で、ああゆう風に歳がとれてたら、と思う人でした。ビルを持っていて社長さんでした。 うさぎの干支にちなんだ道具が並んで、それを拝見するのも楽しかったです。 場違いの感はああるのですが、とてもありがたい時間を持つことができました。
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2011.01.08 22:24:55
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2011.01.07
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損保ジャパン東郷青児美術館で、「櫃田伸也展-通りすぎた風景- 」という作品展が開催されています。その内覧会に、今日7日に行きました。
櫃田伸也さんは、70歳ぐらいです。すっと風紀を中心に描いてきておられます。 最初見たときは抽象画かなと思ったのですが、どうも、具象画と抽象画の間といったところの独自の表現です。 櫃田伸也さんは、愛知県立芸術大学、東京藝術大学絵画科油画専攻で教鞭をとり、数多くの若い才能を育て、 世に送り出してきた、よき教育者でもあったようで、内覧会の後、ボランティアガイドのみんなに、作品を丁寧に語ってくださいました。 損保ジャパン東郷青児美術館の第1室には最初に小学校1年の時の家の絵があります。 この時の家の描写と、ひらがなのサインが、後の作品につながっていると話されました。 それから、この室には、アメリカのポップアートに惹かれて描いた作品が並んでいます。 1960年代の「平凡パンチ」のカットや、ダビンチの足の素描などが貼り込められて作品もありました。 このポップアート的作品は次の平面の表現と色彩感覚がその後の作品へつながります。 2室から独自の風景画世界へ入ります。 まずは壁面です。その平面に、蔦が絡んだり、壁の凹凸があったり、といったぐらいの奥行きで、平面を描いておらえます。 この時から見られる、小さな花は、とてもリアルで綺麗です。 絵画の表現における遠近法を極端に排除して描いてみたと話されました。 画面に色のにじみのような所があるのですが、せれには、水墨画の影響ということも言われました。水墨画はずいぶん意識されていたようです。 この平面から、凹凸の表現へ向かいます。 まず、凸の「山」。山といっても、自然のそびれる山だこではありません。工事現場でのゴミの山というのも山です。遠望する木々のもつ、葉の山もあります。そうした山を抽象化します。 どのように思索していったか、メモが、近くの柱に貼ってあります。メモといっても文字ではありません。ちょっとおもいついた落書きのような線とか、仕事場から見えた樹木の写真とか、雑誌の切り抜きとかです。 仕事場、あるいは自分の住居の近所の風景などから、壁、草、地面、草、フェンス、山、工事現場などからヒントを得てそのイメージを切り取り、実際にそれらを絵の中に再構成し表現していく手法がかいま見え、このメモ展示はとても嬉しいです。 山の次は池です。くぼんで水がたまります。極端な水たまりは洪水になります。 そして、その先にあるのは、広場でした。 一人の作家の作品の軌跡が丁寧になぞらえる作品展です。とても楽しいです。 最後の広場は、できあがってみると、子供時代に空地や川縁で遊んだ広場を描いていた といったお話をされていましたが、懐かしい風景といった感じがしてきます。 最初のとっつきは、「抽象画?」という感じで、逃げ腰になる人がいるかもしれませんが、じっくり観ると、とても楽しい、展覧会です。 作品展は2月13日までです。
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2011.01.08 17:52:09
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2010.12.31
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今年最後は、暗い話。
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2011.01.07 22:01:28
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