As time goes by

2024/02/27(火)06:15

2人の師匠

懐古趣味的生活行為(555)

じゃあね、またね!と、スマホを置いたときの記憶の蘇りは、 久しぶりの何とも言えない柔らかい光だった。 こういうのも、、たまにはいいもんだな。 高校時代の同級生だったはさんと、長電話。 彼女とは、美術部で一緒だったそうだ。(あたしの記憶は定かでない) もっとも、あなたとは違って(?)あたしは熱心じゃなかった。と言う。 あたしも、熱心じゃなかったのに? はさんとは、学校を離れて別の場所にデッサンを習いに行ったのだった。 だから、その名前を言った時、そうだったわねー!と 思い出してくれたのだ。 池田文庫のデッサン教室。 O先生、エッチングの専門で、夜のデッサン教室だった。 薄暗いその教室の中に入っていくシーンを、今も思い出すことが出来る。 でもあたし(はさん)、すぐ止めたのよ。だって、あの先生、 怖かったもの。 そうそう、あまり長く続かなかったよね。えー?怖かった? あたし(ぼちぼち)は怖くなかったけど。 実を言うと、O先生の、眼、は怖かったけど。(と独白) 彼女は、性的に怖かったのだと。 そうか。 一年も続かず、いや、半年も続いたかどうか、。。 一緒に入り、一緒に止めている、、ぽい。 この日記にもかつて、書いたことがあるが、。 「美しいものに謙虚であれ」とのたもうた、M先生。 このデッサン教室にも通った。次に(二人で)行ったところ、と思い込んでいた。 ところが、彼女は、大阪の大きな美術系の予備校の名前を二つばかりあげて、 あたしはそちらの方でやってたから。 M先生のところは? 行ってない。 じゃあ、あたしは、一人で通っていたのか。。 石橋2丁目から、石橋4丁目のM先生宅(アトリエ)まで、。。 歩いてか?おそらくそうだろう。 結局、彼女はデッサンがうまく行かず、早々に諦めて、 音楽の方(ピアノが上手かった)に進路変更!と相成った。 あたしは、このM先生の行っておられる(当時教授)大学を受け、 落ちて、浪人となり、翌年、別の大学に行くことになった。 一人は音楽方面に、一人は美術方面にと、進路が別れたのだ。 以来、60年。。。やっぱ、感謝。 電話のいいところは、声だけなので、何十年経っても変わらない 彼女の声(あたしも変わっていない)を、聞いて、昔話が出来ることだ。 でも、会って話そうという事になったが、 実現するかどうか。お互い大阪に出る体力はあるにせよ、 予定のすり合わせが何となく面倒だな、。でもでも、 ネコのお世話のご指導も仰ぎたいし、プッシュしてみよう。 電話の後、「池田文庫」が気になり、 サイトで見てみた。 ご立派な建物がバーン!と映っている。 まだある。 昭和24年(1972年)開設。とあるのだ。 昭和24年開設なら通うことが可能。だけど、1972年ならここはあたし達の 高校時代には無かったことになる。 で、 お問い合わせ、をする。 お答えは来るだろうか・・。 先日来からのトイレの空間提案の仕上げ、つまり どこにその建物を置くか、周りとの兼ね合いはどうするか、 これをば、詰めないとやったことにはならない。 頭の片隅に宿題のように漂っているが、前に進めなかった。 今朝、あるアイデアがひらめく。 それで行ってみようか?と、思った。 小さな、紙の建物を作ろうか、と思った。

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