2024/05/16(木)06:53
誰も教えてくれない
そんなこと、(2億円の差―生涯所得)誰も教えてくれなかった・・。
と、つぶやかれたのが印象に残ります。と、
朝日新聞の記事へのコメントで、あるジャナリストが書いておられた。
均等法以前の世代の方である。
あたしは、以前も以前、の方である。
誰も教えてくれないのは、基本のき、だった。
この朝日新聞の記事は、夫婦がともに、お勤め、の前提だ。
働き方は、いろいろある。賃金もしかり。
だから、
2億円、(の差)はあくまで常勤の、会社員として、働いた場合、という条件が付く。
だからパートなんでしょ。
とか、空いてる時間だけの内職なんでしょ、とか
これとて、、
雇われる、という前提。
夫の母は、(すでに揃って鬼籍)玉の輿?と思いきや、
お見合いで結婚した相手が、全く働かない夫であったので、
(働く、という概念が無い家庭、もあり得ますよね、、昔だと。だけど、
社会は戦争とか、災害とかで状況が変化しますよね)
自分が働きに出た。当時、3人で始めたばかりの会社の事務として。
会社の場所は丸の内だったそうだ。
夫が、中学生になるかならないか、という時代であるので、
昭和30年代の初めかしらね。
津田で、英語を学んだ彼女は、水を得た魚のように仕事に邁進し、、
(と書くとなにやら朝ドラみたい)
夫の生家には、お手伝いさんがいた?いやいや、何やら育児放棄?っぽいが、。
彼女は、正社員として働き続け、結局その会社は、一部上場の大企業に育った。
あたしが、初めて東京の夫の実家を訪ねた時には、お手伝いさんは
居たのだ。(この夫の実家、は義母が嫁いだその家、とは場所は違うのだが・・ややこしい)
〇〇さん、(義母の会社の社長-後から社長と知る)という人の名前が、頻繁に彼女の口から出て、??と感じたのを覚えている。
すっかり当時、会社人間であったのだ。義母が!
時代が過ぎて、、義妹がまた、ある時言ったこと、忘れられない。
彼女、交通事故で、ひどい怪我をして、入院し、ICUに入っていた。
当時、結婚して子供がおり、義母にすれば孫であるが、
その時丁度、義母は、欧州に出張中だった。
わたしが、そんな状態だったのに、ママったら、帰ってきてくれなかった。
この、恨み節は、事あるごとに聞かされた。
3人から始めた会社を、一部上場まで育て上げた、その核となる人物の一人、
であるにせよ、女性であったので、さまざまな出世の機会を逃している。
課長になり、部長になり、とは、、そうは問屋が卸さぬ。
突発性難聴になったことも、あったなあ・・。
それでも、部長待遇にはなったんだっけ・・。
結局、定年退職はせず、机は保持して、75歳まで、勤め上げた。
義母が70歳を越えたころ、今のお仕事は?と聞いたことがあって、
郵便物の整理係よお、、と、笑ってた。
そんな女性を母に持った夫である。
それでも、、
あたしの仕事に関しては、冷淡であった。
ただ、少なくとも、あたしが、シゴトをする、という局面に対しては、
反対はしなかった。
結婚を決めた時の条件、、というとあたしも冷たい?のかもだが、
働く母を持つ人、というのが、やはり譲れないなあ、と、
考えたことは確かである。
働こうにも、(子供がいると)どうにも動けない、というのが、
当時の子持ち女性の状況である。
そこで、実母の出番、や、なんやかや。があるが、、それこそ、
すでに母がいないあたしは、誰も教えてくれなかった。のだ。
自営業としての道、を選択する。
何でも自分で背負うので、
ハチャメチャに忙しかったが、健康に恵まれてなんとか過ごした。
何でも自分で背負うので、
言われるとおりの労働を他者に提供する、という道ではなかった。
何でも自分で背負うので、
リスクは当然生じる。失敗もした。
何でも自分で背負うので、
だから、、2億円には、程遠い。
程遠い。どうかすると、、計算してないが、、マイナスかもだ。。
(ま、それはないで、、とは思う)
程遠いが、、得たものは、、得たものは、、プライスレスだと
思っております。ハイ。
感謝!