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カテゴリ:情報的生活行為
ままならない自然とどのように生きていくか。 歴史に見える生き物としてのヒトの未来。 百姓と自然の江戸時代(26) ヒトの歴史に補助線を引く (叢書・知を究める) [ 武井 弘一 ] 読了。 米騒動の真っただ中、江戸時代からの、我が国の農業を「米」を基軸に 補助線引きまくりの、良書。おススメ。 強くおすすめします。 補助線を引いて述べたい、と著者は言う。 読んでみてあたしは、これは補助線ではなく、どちらかと言えば 平行線?じゃないかと思った。各章は、その土地土地の古老が 農業書を残しているが、(いやほんとに、識字率が高いのだろう) その量膨大。 本書中、人は、漢字ではなくカタカナのヒト、となっており、これは ある意味、生物としての理科的な視線の雰囲気がして、 良いアイデアだった。 自転車もない、化学肥料もない、エステー化学もない、ワークマンもない、 スマホもない、もちろんセメントもないし、アスファルトもない、 耕運機もないし、冷蔵庫もない、(エネルギーがない) 原始的に動かざるを得ない、江戸時代の百姓。 もう、読み進むのさえ、疲労する。(気持ちが、、) 現代に生きる我々にとり、ほんの数百年前までは、こういうことであったか、 との、深い感慨を持つ。 特に、エピローグは、まとめが一つの論文になっているので、 分かりやすいし、現代への問題提起としては、きわめて良質。 著者の朴訥として、着実な、永年の専門分野のご研究が実を結んでいる。 良い本を読ませて頂きました。ありがとうございます。 武井先生。 中身はキツキツの研究書であるが、 本の最初と最後は、その古老の和歌が掲載されている。 その最後の方だけ、ご紹介する。→ 世の中は願い望みの限りなし 着て喰うて処らば極楽とせよ (処らばは、住まいのこと)←引用者加筆 『日本農書全集 第二巻』 (以上を線で囲んであり、 p224の エピローグ どのように人類史をとらえればよいのか、の最後のところ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年04月22日 05時14分03秒
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