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2021/06/12(土)16:39

「TQ技術」とは何なのか?エネルギーでもない!波動でもない!「場」という概念が地球を変える。

CCJ チャンネル登録者数 5310人 【TQの歴史】 約80年前 戦前の東大で「開花の仕組」研究 戦後、東大のその研究者ら (五島善秋先生・小島俊爾先生・大橋望東先生・山下昭治先生の4名) が名古屋大農学部に移籍 1968年、この研究者らにより『花成制御物質に関する研究』の論文が発表される 引き続き、α-トコフェロール(ビタミンE)とユビキノン(コエンザイムQ )で、TQ現象が研究される 1971年、TQ技術開拓者(岐阜大出身)山田俊郎先生が合流 1976年~ 山田俊郎先生が、沖縄の養殖業や農業などの現場にて、TQ技術応用の研究 時期不明だが、山田俊郎先生が、現在のTQ処理装置を発明 1993年1月、一子相伝 TQ処理装置発明者である山田俊郎先生の長男である山田学先生(今までの科学に疑問を感じ、東大工学部中退)が、TQ処理を伝授される 【技術開発者 山田俊郎(やまだとしお)氏】 yamada.t 1944年 愛知県立旧制惟信中学校卒業 軍需省東京工業試験所(現・独立行政法人産業技術総合研究所)高分子化学研究室勤務 陸軍予科士官学校入校(61期)陸軍軍官学校に配属 1945年 8月シベリア捕虜(炭鉱作業) 1948年 岐阜農林専門学校(現・岐阜大学農学部)農芸化学科入学/まもなく、同学科応用微生物学教室助手となる (陸軍士官学校に学んだ実力があったため) 同校 農産製造科に転入学(学生として学び直した)1951年に同校卒業 1954年 岐阜大学助手を退職 合資会社彩光社(カラー写真・シルクスクリーン印刷)を設立し役員として参加 1961年 彩光社を日本サーキット工業株式会社(プリント配線)に改組、代表取締役となる。 1963年 通産省指定東海電子工業団地建設委員長に就任 1971年 中部経済同友会幹事 1972年 日本サーキット工業株式会社のすべての役職を退任、      三菱ガス化学株式会社に持株のすべてを売却。      のちのTQ技術となる研究に専念 1975年 TQ技術の養鰻、水耕栽培などへの応用にめどをつける。 1976年 11月沖縄県名護市に琉球農水産研究所を設立 1987年 2月ホテル用高級野菜生産販売部門を有限会社沖縄グリーンとして独立させる。 1992年 TQ技術の新展開の為、名古屋市に有限会社ナック設立 【技術(継承)管理者 山田学(やまだまなぶ)氏】 yamada.m 1974年 3月名古屋大学教育学部附属高校卒業 1975年 4月東京大学理科一類入学 1978年 4月同工学部計数工学科(計測・情報・通信・制御)進学 健康平和問題全般に関心が深く、学外の沖 正弘(ヨガ)・川喜田二郎(民族地理学・KJ法)・三浦つとむ(言語学)などにも真剣に学び続ける。人間社会の哲学史・数学史・物理学史・化学史・技術史も深く研究 1982年 12月いずみ学習教室(東京品川)講師 1988年 12月銀座マネキン紹介所経理事務 1992年 8月山田俊郎からはじめてTQ技術の基礎について指導を受ける 1994年 11月TQ技術を理論化する準備として『学問の転換』を自費出版 1995年 1月エス・ジー・エンジニアリング株式会社(ソフトウェア開発)研究員 1996年 10月有限会社ナック代表取締役就任 まさにTQ技術をめぐり、今の人間社会の水面下にある恐しき冷酷非情に接し、TQ技術を保護・推進するためにこそ、人間社会そのものを健康平和化していく社会改善(JOMON〔縄文〕あかでみぃ)にも努めている。 今回の動画の以下の場面に、間違いがありました。 誠に申し訳ありません。 1:36左上 「1970年代東大から移籍した山下昭治氏を含む 4名の学者によりTQ技術が命名され 1971年山田敏郎氏が合流、技術を完成させる。」 ×1970年代 ○1960年代 ×TQ技術が命名され ○TQ現象が研究され (TQ技術と命名したのは、名古屋大学でなく、山田父子です。) ×山田敏郎氏 ○山田俊郎氏

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