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アキラが小学校2年、弟のカズが小学校1年。
4月のある日、父親がアキラを膝に乗せ言いました「アキラ、男はな、どんな事があっても泣いたらアカン。痛くても、悔しくても、悲しくても、辛くても泣いたらアカン。泣いていいのは嬉しい時だけや。」いつもの口癖です。 酒を呑みながら、やさしくもあり、厳しくもある表情で。 父親は厳しい人で、間違ったことを嫌い、筋を通す人でした。 昔のお父さんです。 アキラがケンカをして負けて帰ってくると、「勝つまで帰ってくるな!」と勝つことにこだわる人でもありました。 幼稚園の頃ケンカして帰ると早速父親が「ケンカしたんか? 勝ったんか?なんでケンカしたんや?相手は誰や?」と 等質問攻め。 全部説明して納得したら、頭を撫でてくれました。 ただ、キマリがあったんです。 女の子に手をあげるな 自分より小さい子、弱い子に手をだすな 腹が立っても我慢しろ、相手が手を出してきても我慢しろ。 2発以上殴られたらしばけ!かまわへん。そして勝ってこい。 アキラはその頃疑問に感じたことがありました。 ケンカして勝ったら相手は自分より弱いから弱いものイジメになるのかな 勝てない相手に勝ってこいと言い、勝ったら相手が弱いということだから・・・。 アキラが小学校に上がる時、母親方のおばあちゃんがランドセルを買ってくれました。入学式の日まで待ち遠しく毎日ランドセルを背負っては鏡を眺めていました。 翌年弟のカズが小学校に上がる時もおばあちゃんがランドセルを買ってくれました。 カズは入学式が終わったその足でおばあちゃんにランドセルを背負った姿を見せに行きました。 それがおばあちゃんとあった最後でした。 2週間後亡くなったのです。 アキラは泣きませんでした。父親の口癖が頭にあったのも確かです。 もうひとつは、初めての経験だったのです。身近な人が亡くなるということが。 理屈ではわかっていても、感覚がわからないのです。 通夜、葬式と終わり、母親がアキラとカズにいいました。 「ランドセルはおばあちゃんの形見やで。大事にしいや。」 その約一月後、アキラが軽いイジメにあっていました。 アキラは韓国と日本のハーフで、籍を韓国にしていたのです。 韓国人は韓国に帰れ、キムチ臭い、など罵られ、仲間はずれに。 (その当時、キムチは食べれなかったんだけど) ある日掃除当番で、掃除が終わって帰ろうとすると、ランドセルがないのです。 30分くらい探してないので職員室へ。先生も探してくれましたが、見つかりません。 仕方がないのでその日は手ぶらで帰ることに。 父親の怒る顔が浮かんできます。母親に何て言ったらいいんだろう。何でないんだろう。頭の中にいろんなことが浮かびます。 頭をさげとぼとぼ歩いていると遠くで笑い声が。 見ると、イジメをしている4人組。 砂場でみんなで何かを踏みつけたり蹴ったりしています。 顔を合わすとまた何か言われる。それでなくとも帰りたくない憂鬱な気分。 と、そのとき足蹴にされている黒い物が見えた。 まさか、と思いながらも近づいた。 何かわからない程埋まっていた。 走って行き手で触れた。砂を掘り起こすとランドセルが。 いつもピカピカに磨いていたランドセル。 中も砂でいっぱい。 おばあちゃんの形見が、おばあちゃんの形見が。 一人が言った。「日本のランドセルなんか使わんと韓国のん使えや。それが嫌やったら韓国帰れ。」 アキラはもう自分を止めることが出来ませんでした。 4人相手に大喧嘩。滑り台に逃げあがった1人を投げ落とし、リーダー格を捕まえ殴り倒し砂場に顔面を押し当て足で踏みつけ、先生が止めにくるまで続けました。 帰り道、ランドセルを抱え砂を少しでも払っています、その手も砂まみれなのに。 涙が止まりません。 帰り道、「おばあちゃん、ごめん。 おばあちゃんごめん。」 と言っていたそうです。 ランドセルを買ってくれたおばあちゃんは韓国人です。 アキラは、おばあちゃんもランドセルも守れなかった事が辛く、母親にも泣くばかりで何も話せませんでした。 父親が帰って来て、泣いているアキラに言いました。 「どうしたんや? 」 アキラは怒られると思いながらもその日あったことを話しました。 父親が、アキラを膝の上に乗せ言いました。 「アキラ、男はな、どんな事があっても泣いたらアカン。痛くても、悔しくても、悲しくても、辛くても泣いたらアカン。泣いていいのは嬉しい時だけや。」いつもの口癖です。 その後、父親が言いました。「でも、今日はええぞ。 今日は泣いてもいいぞ。 悔しかったやろ。」 父親は頭を撫でてくれました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.02.11 21:17:32
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