y:多くの悲劇
去年今年 三つの悲劇 起こりをり 以前、歩く会で稲生川ウォークしました。余命一日のWindows7パソコンを整理していたら、2009年に作成した資料が出てきた。★ 二つの農業用水路の開拓工期、長さ等を比較した資料で、偶然、同じ規模である。まさか、昨年末に、こんな悲劇が起きるとは、誰もが予想をしていなかったのでは。 ★ 一つの疎水はアフガニスタンのマリワリード農業用水路。 2007年からペシャワール会中村哲医師が開拓し、荒れ地を緑の大地に蘇えさせた。 その後、次々と用水路をアフガニスタンの「緑の大地計画」を目指して活動していた矢先に、道半ばにして昨年12月初めに凶弾に倒れ逝去されました。★ もう一つは奥入瀬川を分岐して新渡戸傳等が江戸時代末から開拓した稲生川疎水。 十和田三本木の荒地を疎水によって、稲作を造れるようにし、今の十和田の農業を築いた。 荒地に稲が造れるようになったので、新渡戸傳の孫の名前を新渡戸稲造とした地で有名。 開拓の史料、道具等、新渡戸稲造の図書、資料を展示していた新渡戸記念館を十和田市が昨年12月に耐震性を再確認せずに廃館とした悲しい出来事が起きた。十和田の開拓魂の教育の場でもあり、郷土の宝箱である新渡戸記念館を存続させたいと願っている。★ アフガニスタンの故中村哲医師の活動は現地人、日本からも再評価をされている。 今年、疎水は開通162年目、新渡戸記念館は十和田の未来のためにも、世界に誇ってほしい、今からでも、再耐震診断すれば蘇ることが出来る可能性がある。再評価を願う!!★三つめは個人的な問題で写真俳句が途切れてしまったこと、、、しばらく、お待ちください。