2007/11/14(水)02:24
本当に欲しかったのは愛?
炎の画家ゴッホの「家族の絆」って深いのね♪ 「アルルの赤い葡萄畑」創作活動をしていた10年間の間に 1600点の絵を残したゴッホ。 彼の生前に、 たった1枚だけ売れた絵がこの絵です。 取引価格は 当時の価格で400フラン。そう言えば、アクオスのCMで流れていましてね♪ 炎の画家、ゴッホには、
兄想いの弟、テオがいました。 炎の短い生涯を、支えつづけた弟でした。 その弟テオに子供が生まれた時に 贈られた絵が↓「花咲くアーモンドの小枝」 1890年2月 日本画の影響を受けて描かれた作品です。甥っ子が生まれると聞いたゴッホは、 喜んでテオに手紙を書きます。 「僕は、ただちに 寝室に掛ける絵を その子のために描きはじめました。」
「青空を背景に白い花をつけた 太い枝のあるアーモンドの絵です。」「荒れ模様の空に烏の群れ飛ぶ麦畑」 1890年07月頃 それから半年後、彼は自殺します。 この絵↑がゴッホの最後の作品となりました。彼を支え続けてきたテオには、 兄よりも大切な家族が出来てしまった。 そう思うゴッホには、 居た堪れない 喪失感が待ち受けていた事でしょう。ゴッホは、黄色にこだわった画家でした。 最後までテオに黄色い絵の具を 送ってくれと頼んでいました。黄色の意味するものとは 「希望」「甘え」「要求」炎の画家ゴッホの鮮やかな黄色には、 寂しく移ろい続ける、 孤独な魂の叫びが ヒシヒシと伝わってきます。彼の孤独はテオでしか 埋まることができなかったのかもしれませんね。 テオもしかりです。 兄の自殺に後、 精神を病んで半年後になくなります。私がゴッホの鮮やかな黄色の中に、 「一抹の不安」と「ピュアな輝き」を感じたのは 彼らの純真でストイックな 兄弟愛が存在したからなのでしょうね! たぶんきっと。。 ___________________________たとえ今、成功しなくても、 僕が手がけた仕事は 受け継がれ、 続けられて行くだろうと信じています。
正しいことを信じる人に 直接会えないかも知れませんが、 そう言う人が、 ひとりしかいない訳はありません 。 ____________________________ 後世、ゴッホを世に出したのは、 テオの妻、ヨハンナとその子供フィンセントによるものです。