2007/09/24(月)15:54
摩耶の旅 第8回「鉤十字の国」 第2章
1939年3月 ベルリン
ドイツ総統 アドルフ・ヒトラー
「諸君、時は満ちた」
「今こそ、我がゲルマンの勇気を世界に示す時」
「世界中の国々は我々の前に跪く事になるだろう」
「世界帝国の悲願達成が今から楽しみだ。ふはははは」
ヒトラーは世界帝国建国への野望に燃え上がっていたが、側近には冷静な人間も少なくなかった。ナチ党官房長のルドルフ・ヘスが体調不良のため、実務を任されているボルマンもその一人であった。
ナチ党副官房長 マルティン・ボルマン
「総統閣下。世界帝国という事はイタリアや日本とも敵対するおつもりですか?」
「当然だ。ドイツ以外の国家の存続は認められない」
「しかし、1953年までプレイ可能なDDならともかく、無印では時間的余裕がありません。1947年までに目標を達成するのは困難かと」
「む・・・」
「それに、パルチザン対策に兵力を割かなければならなくなります。それも面倒ですから、より多くの同盟国を得た方が無難だと存じます」
「・・・なるほど、確かにそうだ。外務省に方針転換を伝えよ」
こうしてドイツは多くの友好国を得る外交戦略に転換した。しかし、実際には、親独の国々には外務省が独自に同盟工作を行っており、同盟を結ぶ事自体は困難ではなかった。
手始めに、ハンガリーと軍事同盟を結んだドイツは、他にも友好的な外交関係を演出するのであった。開戦までには、半年の時間的余裕があったのである。
*
その半年はあっという間に過ぎ去り、ドイツはひたすら軍備拡張と外交工作に手を尽くした。かといって、同盟国が増えたわけではない。特にイタリアは有力な同盟国候補だったが、英海軍の活動が活発な地中海方面の安全が確保されてからの方がよいとのヒトラーの判断により、同盟締結は見送られた。
ヒトラーはすでに開戦の決意を固めていた。そして、1939年8月30日を迎える。
ドイツとポーランドの国境沿いに展開した独軍部隊は、宣戦布告と同時に進撃を始めた。ポーランド軍は数でこそ独軍と並び立つ程の兵力を備えていたが、装備は旧式で装甲兵力を持っていなかった上、完全に制空権を奪われた中で敗走を繰り返したため、航空攻撃によって全滅する部隊が後を絶たなかった。
陸空両面で絶対的優位を保持し続けた独軍は、わずか2週間でワルシャワを占領、東からソ連軍が迫っていた事もあり、ポーランドはすぐさま併合に応じた。すでに軍事同盟を結んでいた連合軍は初動に遅れ、何もする事が出来なかった。
空陸一体の新戦術「電撃戦」はまだまだ改善点の多い戦術であったが、新しい戦いを予感させるには充分であった。しかし、ヨーロッパは少し気の早い冬に突入、戦場に雪が降ると攻撃側に80%のペナルティがかかるため、それを嫌った両陣営は積極的な攻勢を控えた。「奇妙な戦争」と呼ばれた実質的な休戦期間の始まりである。
だが、ドイツというよりヒトラーの野望は、まだまだ序章に過ぎなかった。
続く。