2007/09/30(日)13:17
摩耶の旅 第8回「鉤十字の国」 第8章「大祖国戦争」
独ソ戦の始まりは突然だった。独ソの関係はソ連成立後最善と言われていただけに、ソ連首脳陣への衝撃も大きかった。
ソ連共産党書記長 ヨシフ・スターリン
「おのれヒトラー。正義は我らにあり。ソビエトの底力というものを思い知らせてくれるわ」
独ソ国境に配備された独陸軍の兵力は500万に達していたのに対し、ソ連は全てを合わせても100万程度にしかならなかった。スターリンはレニングラード以西の住民に疎開を呼び掛けると共に、軍には遅延戦術、焦土戦術で時間を稼ぐよう指示を出した。
しかし、そっらの必死の抵抗は、空から破られた。
独空軍 ハンス・ルーデル大尉
「爆弾でも食ってろ、ルスキども!」
開戦緒戦で完全に制空権を握ったルフトヴァッフェは、次に大量の近接航空支援機隊を投入。後に「ソ連人民最大の敵」と呼ばれる程に戦車や装甲車を撃破するハンス・ルーデルをはじめとする「空の砲兵」たちは、陣地を放棄したソ連兵に対して追討ちの爆撃を加えた。モスクワまで至る平地での近接航空支援は恐ろしい威力を誇り、1日に数個師団が航空攻撃だけで全滅した日もあった。数と地の理で利するソ連軍だったが、命からがら指示された防衛ラインに戻って来られたのはわずか5個師団程だったという。
1ヶ月で独ソ国境からモスクワ前面まで迫った中央軍集団前衛は、思わぬ数を持つ軍団に遭遇した。
モスクワ軍団指揮官 ゲオルギー・ジューコフ
「ここから先は通しはしない」
これを受けた中央軍集団司令官のグデーリアンは、前衛以外の部隊には迂回して包囲するよう指示を出し、あらかたの敵を掃討し終えた北方軍集団にも支援を要請した。こうして完成したモスクワ包囲網の中で、激戦が繰り広げられた。しかし、ついぞ数と質両面で劣ったソ連軍は盛り返す事が出来ず、モスクワは1943年6月20日には独軍の手に落ちた。
わずか2ヶ月のうちにレニングラードとスターリングラードをも占領した独軍の勝利は、もはや揺るぎないものとなった。
そして、1943年7月18日。
当初完全勝利を目指していたヒトラーだったが、タイムスケジュール的にそれは不可能と判断、ソ連と講和条約を結んだ。
ソ連は3分割され、中央部をソ連、東側を日本、西側をドイツがそれぞれ統治する事になった。
この独ソ戦によってスターリンは完全に失脚、行方不明になり、ソ連はIC70程度の国家として余生を送る事になった。
大国と呼ばれたソ連の敗北は、やはり各国に衝撃を与える事になる。ヒトラーはこの勝利を足がかりに更なる侵攻作戦を練り始めていた。
続く。