2008/01/07(月)15:00
摩耶の旅 第9回「満洲の曙」 1945-1946年
満州国首相 張景恵
「・・・で、結局やり直すんですね?」
「うむ、あれはあまりにも酷い。しかし反省はしていない。米ソのわがままになど付き合っていられるか」
「はぁ・・・」
*
1945年9月
「ベルリンの状況です。いつの間にやら赤軍に包囲されかけていました」
「・・・本当に何があったんだヒトラー。モスクワまで取ったのに逆転されんなよ・・・」
1945年12月
「こうなりました」
「もう何も言うまい・・・」
*
そして、第三帝国の夢は終わりを告げる。時に1946年1月27日。ドイツ軍がポーランドの地を踏み荒らしてから6年と5ヶ月、独ソ戦が始まってから4年と7ヶ月が経っていた。スターリンは荒廃したドイツの地にドイツ民主共和国を建国、これを属国とした。赤軍が占領した地域はベネルクス3国、フランスにまで達しており、フランス政府がパリに戻っても軍を引こうとしなかったため、連合国各国から非難を受ける事になる。
2月5日、大日本帝国が降伏。今回も朝鮮半島を巡る一連のイベントが発生したが、溥儀は「騙されるもんか、騙されるもんか・・・」と呟いて無視した。
3月に入って、連合国と共産国による戦後処理が本格化する中、中華民国がかねてから敵視していた広西軍閥に宣戦を布告。1ヵ月後には併合。
更には5月にチベットが宣戦布告を受け、中国は独自の道を歩み始める。
この間、満州国はひたすら軍の拡張に努めるとともに、世界主要国へのスパイ派遣を進めていた。満洲国は物資を輸出し、輸入出来る外貨は片っ端から輸入して大量の資金を得ており(ゲーム的には1日に+30程度)、これを満州国情報省の活動資金としていた。満州国の諜報員の手腕は米英ソ等の国々の諜報員と比べてもかなりえげつないものであり、次第に「満州国の情報省には注意すべし」との噂が世界中で飛び交う事になる。
それでも、満州国は表向き内側志向の緩衝国家としての役割を粛々として果たしており、表立って行動に移る事はなかった。1947年を迎えるまでは。
続く