箱庭

2008/01/25(金)12:36

摩耶の旅 第9回「満洲の曙」 1959年 4

HoI2AAR(326)

ロシアの大地が冬に突入すると、溥儀は首相の張景恵を通じて外交活動を活発に行わせた。一方的な対ソ宣戦で冷え切った連合国との関係改善を優先し始めたのである。 これまで微々たるものでしかなかった物資支援を包括的交渉で一度に大量の物資を送り、その支援の見返りとして、アメリカ合衆国やベネズエラといった大産油国からは石油を、石油と物資不足に喘ぐイギリスからは希少資源を輸入する事で合意した。包括的交渉はその後も頻繁に行われ、大清帝国の対外関係を再度安定させる役割を果たした。ここに、大清帝国と連合国との、暗黙の協力体制が出来上がりつつあったのである。 * 1959年12月31日 大清帝国新京国務院  大清帝国皇帝 愛新覚羅溥儀 「1950年代がついに終わる」 「これまでの20年間、人類は史上最大の戦争に身を投じて来た」 「諸悪の根源である共産主義者どもを一掃し、一刻も早い戦争終結を目指す」 「・・・と、年始には国内外に発するように」  大清帝国首相 張景恵 「は・・・」 「それでは年末に起こった出来事を報告してもらおう、川・・・川島はどうした?」  大清帝国軍事顧問 石原莞爾 「川島統合参謀総長は現在前線視察に赴いています。シベリアのヘリ部隊を回ってるとかで」 「ふむ、では軍事関連の報告は石原がするのか」 「左様でございます」 「よろしい、早速始めたまえ」 「はい」 「1959年11月13日、ソビエト暫定首都ナベレジヌイエチェルヌイを制圧。ソ連の首都はモスクワに戻りました」 「・・・そう言えばソビエトの首都はナベレ何とかのままであったな」 「はい、独ソ戦においてモスクワを占領されて以降ずっとですね。ですが政治機能はすでにモスクワに移っており、物資備蓄庫だけがナベレジヌイエチェルヌイに残っていたと脳内補正して下さい」 「そうしよう」 「しかし、物資備蓄庫を確保出来たのは大きいですな」 「貧乏国であった民国とはケタ違いの貯め様です。常時赤字の資源収支も、連合国との貿易に頼らずともゲーム終了までは持つでしょうな」 「元よりそちらはもう気にしておらぬ。石原、続けよ」 「は」 「12月11日にはインド歩兵軍団がアバダンを」 「12月23日には我軍の山岳兵軍団がバクーを占領」 「ソビエトの戦争経済を支えていた2つの油田をほぼ同時に抑える事に成功しました」 「大変結構。石油はいくらあっても足りない。アバダンをイギリスに奪い返される前に復旧させるよう命令を出せ」 「承りました」 「・・・報告はこれで以上か? ならば解散とする。各員、よりいっそう励むがよい」   「「は」」 続く

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