箱庭

2010/03/28(日)17:50

摩耶の旅 第11回「アメリカ戦記」 第5章

HoI2AAR(326)

1941年6月22日、ドイツ第三帝国はソビエト政府に対し宣戦を布告。ヨーロッパ情勢は新たな局面に入ったが、アメリカ政府はヨーロッパ情勢に対しさしたる関心を払っていなかった。目下アメリカ政府の標的はアジアで勢力を増した大日本帝国であり、その軍門に下った中国勢力であったためである。のらりくらりを続けるアメリカ政府に対し、イギリス、フランスといった国々から有形無形の圧力がかかったが、ルーズベルトはそれを無視。この静かな対立は、後の大騒動の火種となって行く。 この間、日本では重要な出来事が起こっていた。成立したばかりの東条英機内閣の下で、「帝国国策遂行要領」が御前会議で決定されたのである。その骨子は以下のようなものであった。 ・帝国は自存自衛を図るべく対米(英蘭)戦争を決意し、1941年8月下旬を目途とし戦争準備を完遂する ・平行して米英に対し外交の手段を尽して帝国の要求貫徹に努める ・外交交渉により8月上旬頃に至っても要求を貫徹し得ない場合、直ちに対米(英蘭)開戦を決意する ・対南方以外の施策は既定国策に基づいて実施し、米ソの対日連合戦線を阻止する しかしながら、ルーズベルトが裏で決意を固めていたことや日本でも「アメリカ憎し」の声が高まる中で日米の外交交渉が進む道理はなかった。日本側で戦争準備が整った10月、再び午前会議が開かれる。再び決定された「帝国国策遂行要領」は、以前のものよりかなり進んだ内容であった。 ・帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完了し、大東亜の新秩序を建設するため対米英蘭戦争を決意した ・武力発動の時期を11月中旬と定め、陸海軍は作戦準備を行う ・独伊との提携強化を図る ・武力発動の直前、タイとの間に軍事同盟を樹立する ・対米交渉が11月1日午前0時までに成功すれば武力発動を中止する 日米交渉の妥結の見込みなき状況における、実質的な開戦決定である。これに加え、日米交渉決裂のとどめとなったのが、ハル・ノートの提示であった。ハル・ノートとは以下の10項目から成る。 1. アメリカ政府と日本政府は英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約締結に努めるべし 2. 日本政府は仏領インドシナの領土主権を尊重し、インドシナの領土保全に対する脅威に対処すべく必要かつ適切な措置を講ずる目的の協定締結に努めるべし 3. 日本政府は中国及びインドシナ半島より一切の陸海空軍兵力及び警察力を撤兵すべし 4. 日米政府は中華民国国民党政府以外のいかなる政府も軍事的、経済的に支持せざるべし 5. 日米政府は海外租界と居留地内及び関連権益並びに義和団事件議定書による諸権利を含む中国に存在する一切の治外法権放棄すべし また、日米政府は海外租界と居留地内及び関連権益並びに義和団事件議定書による諸権利を含む中国に存在する一切の治外法権放棄をイギリス政府及びその他政府の同意を取り付けるべく努力すべし 6. 日米政府は互恵的最恵国待遇及び通商壁の低減並びに生糸を自由品目として据え置かんとするアメリカ側の企図に基づき両国間に通商条約再締結のための協議を開始すべし 7. アメリカ政府による日本資産凍結、日本によるアメリカ資産の凍結措置を撤廃すべし 8. 日米政府は円払い為替の安定に関する案について協議し適当なる資金の割り当ては折半することを合意すべし 9. 日米政府はいずれか一方が第三国と締結するいかなる協定も同国により本協定の根本目的すなわち太平洋地域全般の平和確立及び保持に矛盾するが如く解釈せざるべきことを同意すべし 10. 日米政府は他国政府をして本協定に規定される基本的なる政治的経済的原則を遵守し、かつこれを実際に適用せしめるべくその勢力を行使すべし 日本側ではこれを最後通牒と見なすかどうかで論争が起こるが、折からの反米感情はマイナスに解釈させるのに十分な材料だった。 そうして11月16日、大日本帝国政府は対米英蘭宣戦布告。ここに日本側呼称で大東亜戦争、米英側の呼称で太平洋戦争が勃発する。 アメリカは、開戦劈頭に新しい戦いを知ることになる。南雲忠一中将に率いられた空母6隻を中心とする機動部隊が、米太平洋艦隊の根拠地パールハーバーを奇襲攻撃したのである。   当時パールハーバーには米太平洋艦隊主力は存在しなかったが、パールハーバーの港湾施設、主要航空基地がほぼ全壊し、基地としての機能を損失した。 ただ、駐米日本大使館の書記官が翻訳とタイピングの準備に手間取り、宣戦布告文をハルに手渡したのは攻撃開始から1時間後のことであった。ルーズベルトはこの事実を強調して反日キャンペーンを展開して行くことになる。 ただし、アメリカ政府は再三に渡る連合国からの同盟締結要請を拒否。ドイツ第三帝国は防御的同盟である三国同盟(同盟加盟国が宣戦された場合のみ宣戦)の条文を守り対米宣戦は控えた。大日本帝国の主な戦闘相手はアメリカであったため、太平洋戦線はヨーロッパ戦線とほとんどリンクしないまま推移する。 太平洋において、開戦後すぐさま活発化したのがマリアナ諸島上空における航空戦であった。 陸上航空戦力のほぼ全力を投入したアメリカ陸海軍の航空隊は、中国との戦いで鍛え上げられた日本の航空隊と相対する。その被害はかなりの数に上ったが、数の差で勝利を重ねている状態だった。逆にそれは、アメリカの航空技術の進展を刺激することになる。 更に、グアムを拠点に置く重巡洋艦を主力としたアジア艦隊がグアム近辺に出張って来た日本海軍の駆逐艦隊を撃破。ここに至り、日本政府はアメリカが周到に戦争準備を進めていたことを知るのである。 * 1941年12月1日 ワシントンD.C. ホワイトハウス 「なんか開戦直後から順調ですね」 「とは言え日本の主力艦隊はどこにいるのかまだ分かりませんし・・・」 「分かっています。それで、今後の戦略はどのようになっていますか?」 「まず、ウェークを拠点にマーシャル諸島を落とす」 「しかし、哨戒の結果ほとんどの島に守備隊がいるのだろう?」 「海兵隊を使う。ドクトリンは未熟だが、艦砲射撃を使えばどうにかなる」 「なるほど、それで?」 「更に攻略戦の事前から通商破壊戦を実施、VPのない島にはわざと兵を入れず、日本の保有する輸送船の数を減らす」 「通商破壊戦と力押しを同時に行うということか」 「史実通りということですね」 「まぁ、言ってしまえば」 「それがベストなのでしょう? ならば進めて下さい」 「まぁ、緒戦で負けようが最終的な勝利は揺るぎありません。無理をしすぎないように」   「「御意」」 続く。

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