ブルーポピーの群生の中、急登に喘ぐ・・・。
Meconopsis betonicifolia (Papavereceae)メコノプシス・ベトニキフォリア(ケシ科) この谷のブルーポピーはメコノプシス・ホリドウラ(ケシ科)で4弁で花径は6~7cm、この花の欠点は針のような鋼毛があることである。指に刺さればその細かい棘(トゲ)はとれない。普通青いケシと呼ばれるのは、このメコノプシス・ベトニキフォリアを指す。F.Kingdon Ward,B.A.,F.R.G.S.“The Land of Blue Poppy”Travels of Naturalist in Eastern Tibet.Cambridge,1913. 倉知敬訳『青いケシの国』ヒマラヤ《人と辺境》白水社、1975.この口絵写真のブルーポピーの写真は1973/8月エベレスト隊のとき、クーンブ5150mのモレーン岩陰で撮ったS.S.老師の写真で、この種の花は、草丈が1mぐらいで大型で、メコノプシス属はケシとは異なり麻薬性を有さない。この種はフムラのチュムサコーラの二俣、4200m~4400mに群生していた。写真はそのS.S.老師の写真原画。倉知さんはホテル・ヒマラヤで支配人を一時・・。メコノプシスも種類が多いところで『青いケシの国』の付録に故諏訪多栄蔵さんはキングドン・ワードはどこで見つけたか?をコメントした。メコン・サルウィン分水嶺近くでめずらしい硫黄色の豪華なメ・インテグリフォルアを見る(P98)。7月、阿敦子近くの5200m辺りでケシの中でも最も美しいメ・スペシオサ、5500m棲息限界の岩陰で同種の花を(P209)8月上旬にはペイ・マ・シャン近くの5500mとルン・ツィ・ラでメ・ルディスを見つけた。しかし本当の青いケシは2年送れて1913年ナムチェバルワとその北側のギャラベリを発見してロン・チュウーのトンギュク橋6キロ草原で未知だった青いケシと紫のイリス・プリムラをF.M.ベイリィーが見つけたのだった。(メ:メコノプシスの略) 上の写真・各種各色の連続写真のメコノプシスは中尾佐助+西岡京治『ブータンの花』朝日新聞、1984.の写真だけど、この故中尾佐助さんは1953年、故川喜田二郎とふたりマナスル科学班でトルボの玄関口トジェ・ラ(5124m)訪問後、ニサンゴ・ラ(トロンパス)から(ラルキャラを越えて)ブリガンダキからツムジェ村で定点調査、彼ひとりシャールコーラへ入り、タプレ・バンジャン(北東面から慶応隊が79年に7000mまで、94年に英米隊が北稜に5400mまで未踏峰である)このルートへの峠辺りでメコノプシス・ポリドゥラとメコノプシス・ネパレンシスを採取した。ムグからドルポへ2009年7月11日(土)スワクサ・コーラの川床から600m、そして800m上がると・・・。 一つ目の広場からガリーへ 往路を振返る DD5行くぞ! Prumula 5000mラインに来ると乾燥した岩礫地に沢山のメコノプシスが咲き誇っていた。このシーズンが一番きれいだろう。空の蒼さとその清楚なブルーは透きとおる。左へガラガラの斜面がガリーの方へつづいていて、そこが一番多かった。段ちになった岩を登ると再び広いU字状になった広場で、右端にV字にコルが見えて頭上の岩の稜線を先行のパンカとチェパが『お~い!』と日本語でコールをかけてきた。『キ・ヤッホー』とDD5(1)は返事をしている。左 Swaksakang 6455m 右 Mariyang 6528m パルチュムハムガヒマールの解禁峰 ↓1999年下った ↓ 今回登るコルAster tricephalus (Compositae)標高4800mの岩礫地に逞しく生えてた日本の『あずまぎく』の仲間、矮性の菊の類で高山植物でもある。花の色も数知れないぐらい、紅、白、黄、紫で10種類以上はあるだろう。この種類はシッキムで有名なフーカー卿が発見した。D.W.Freshfield“Round Kangchenjunga”London,1903.フレッシュフィールドが彼の代表作で古典的な本1899年の記録、著書『カンチ・一周』になった表題へ、1848年に初めてカンチェンジュンガに近づいたフーカーを讃え To Sir J.D.Hooker, The pioneer of mountain travel in the Eastern Himalaya.と書いた。ブータンでの植物学者、故西岡京治もブータンで新種の菊『ニシオカエ・トウヒレン』を発見したのも関西人には大きな出来事だった。草丈は低く、紅色のカーペットのように群生して咲いていた。