ドルポ(トルボ)・バルブンコーラを下る(ツァルカから3日メ)
2012年11月21日(水)トルボの人たちの宗教 1427年、ムスタン王は中央チベット、サキャパの高僧を招いた。サキャパの分派、ゴル派を開祖した人物でゴル寺を村に開き、その教えをトルボを当時治めていたムスタン王はシェー・開山のディクン・カギュパからサキャパへと改宗させた。当時、トルボの多くのゴンパは(サルダン、ナムドゥー、ツァルカの人たち金力、労力で)建立中だった。全てがカキユパだったのに、16世紀になって、モンゴル僧らがムスタンをゲルーク派(黄帽派)と化した。その影響はパンザン、ツァルブン遠くティチュロン、ド・タラップなどへもムスタン勢力はサキャパ、カルマパに改宗させることになった。が、しかし近年は彼ら改宗組はパドマサンバヴァ信仰が浸透して、親しみのあるニンマパになったという。ヤクチン・コーラの右岸、5740m、5825m、源頭のコルは5450mで向こう側はヤクルン・コーラでヤクカルカからツァルカ・トゥルシ・コーラ出合の河岸段丘へと・・・。カンニ奥の崖中の水平道の岩稜鼻4850m(地図上の)です。『フゥ~ム?』『あ・あれはダウラギリ4峰とチューレン・ヒマールとプタ・ヒウンチュリちゃうん?』左にダウラギリ4峰 7661m・未踏の北壁と北西稜、6940m、チューレン・ヒマール東峰 7371m、中央峰(主峰)7385m、西峰 7371m にプタ・ヒゥンチュリー 7246m の連山が望まれた。 概念図はグルジャ・ヒマール、1969年富山ヒマラヤ登山隊・薬師義美編より南側、西面のカヤコーラからグルジャヒマールが覆い被さり、チューレン・ヒマールの東面はいつも東峰はどっしり目の前に、西峰が双耳峰に見えて右が薬師さんは西峰(主峰)として7371mとインド測量局の同定で記した。左のピークはCW(Churen West)7371m 名峰辞典ではしているが、ネパール地図では同じ7371mだが、報告書ではCW(西峰)7371mは 7385m でこの峰の方が高い。北側からだとこの2座は一緒になって区別がつきにくいがこれは下の写真で・・・。D4 Dhaulagiri 4 7618m,D6 Dhaulagiri 6 7268m,CE Churen Himal East 7371m,CC Churen Central 7385m,CW Churen West 7371m,PH Putha Hiun Chuli 7246m,GN Ghustung North 6529m,GS Ghustung South 6465m,GJ Gurja 7193m and KB Konabog 6570m,South East Churen HImal1: 6603m, 2: Putha Hiunchuli, 3: Churen Himal West 7371m, 4: Churen Himal Central 7385m, 5: Churen Himal East 7371m and 6: 6390m , photo from 6800m West Shoulder of Summit. Dhaulagiri 4 North face Churen Himal East peak North East Face ↓ Churen Himal Main peak 7385m ↓ West peak 7311mダウラギリ2峰の3峰の北西面、ダウラギリ2峰北面と北東稜が近く(左岩稜)、そして正面に北稜が切れ落ちていました。 今日も夕方近く、疲れ切ってセリ村に到着しました。===================================フランスのトレイル・ランナー、シルヴァン・バジンのブログ7月26日 (金) Pèlerin express: disponible à la vente! 『特急巡礼』というボクの本が発売されまぁ~す! 木曜日、リヨンへ初校のために出かけていました。子どもの頃 からの夢、旅と冒険の写真の本を出せる機会がやってきました。I also thought to St Jacques de Compostela, this wonderful place which so many pilgrims and walkers who experienced a terrible tragedy yesterday, not directly related to the pilgrimage of course, but which can only be sensitivedream. But I'll let you discover the beautiful cover made by Matthieu Forichon I thank here again, as Joel Sweet, my editor and Pierre Villecourt, model talent, for their valuable collaboration.