ネパール・アーカイブ(マカルー&ランタンとカトマンズ今昔)
2013年10月27日(日) 国境稜線のP3はD.スコットらが東南稜の順応で登頂したが主峰には登れず、P5は未だに 手つかずで未踏、長い東南稜だが6682mの西壁など手つかずだが、なかなかのピークだ。 南西壁の右コルへの懸垂氷河はJAC東海支部の東南稜へのルートになった。 マカルー 8463m バルン氷河のモレーンを歩くと、ローツェ・フェースとローツェ・シャールがだんだん近づく。 マカルー西稜Iルートへは右手前の岩稜を右斜上してC2へと、アルプスの岩稜を攀じる ように、1970年5月23日、R.パラゴとY.セニュールは頂上に立った。この登攀によっ てヒマラヤ・バリュエーションの幕開けとなった。 マカルー山域の幕開けとなったのは、北の国境チョー・ポルー 6711mへはヒラリーたちのグループの、カンチ、チャムラン東面の谷、踏査で有名なノーマン・ハーディが登ったのち、バルンツェにロァー・バルン氷河を遡上してE.ヒラリー、G.ロウーが初登頂、'54年のことだった。和訳は故深田久弥さん。右は2012年ネパール登山レグレーション。 SirEdmund Hillaryand George Lowe "East of Enerest"1954. 深田久弥訳『エヴェレストの東』ベースボール・マガジン社 1956. Photo by Typhoon 2012. シェルパニ・コルへの路、6130m、6333m、6287mの北壁がつづく ポカラからカリガンダキの1958年のアーカイブ Photo by Prof.,R.Takayama.,1958. ポカラの旧バザールの石畳、大きなスイカがバザールで売られていて・・・。 昔も今も、ポカラと言えばアンナプルナ・ダクシン、パタール・ヒウンチュリー、 マチャプチャレ、アンナプルナ3峰のパノラマに自然とシャッターが・・・。 カリガンダキ沿いに歩き出すとニルギリの峰々に学者らの眼が向きます。 やがてダウラギリ主峰の東南面が大きく見えて 子どもたちの大好きな竹組みのブランコ遊びが・・・。 ダウラギリ主峰東南稜の素晴らしい岩稜が見えました。 写真撮影の20年後に群馬岳連によって初登攀された。 東ダウラギリ氷河の左ピナクルから右稜上にルートが・・・。 W田(城)のランタン周辺の山々のアーカイブ 一昨年、W田(城)は、このE。シュナイダー・マップをベースに作られたオーストリア 山岳会の(OST)を参考にティルマンのコルに立った。ネパール地図 1:50000 でも ティルマン・コルは中国領になっていて、1976年度中尼国境協定付図でも、国境 はこの通り決められていた。赤▲のチェムスムド・リ 6602mは未踏峰だが、西蔵領 で、南東に入り込むチュスムド氷河から名付けられた。リンデ・コーラがランタン・リ ルンとのネパール国境で、ペタンのネパール側カルカまで行った事がある。 未登攀のランタン・リ7205mの南壁 Photo by S.Wada 2011.