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2006年12月11日(月)
慧海師日記 明治三十三年九月八日(七月十五日 土)(全足跡:マルパから159里) 朝七時、ヤクに乗て、ハム・フンギ・チュ〈靴落河〉に添ふて西南に下ること二里にして、ランカード湖の湖原に出づ。而して河は南に流れて仝湖に入る。余は河を西に赴くこと壱里余にして、タルチェン当名跡の市場にして、酋長の居る地に着く。 台風日記 ラム・チュー(慧海師はハム・フンギ・チュー)を下る。ストゥプク・ゴンパ(ズンツル・プク《幻化窟》)長谷川伝次郎『ヒマラヤの旅』中央公論社、昭和7年復刻版図書刊行会、昭和50年ではチェンリポー・ゴンパと書き、S.ヘディンは『トランスヒマラヤ』には、寺院の大本堂には、何ら取り立てて見るべきものがなかった。したがって長居せずに、渓谷を馬でくだったが、そのつきあたりで、ランガク・ツォ湖とすばらしいグルラ山脈(ナムナニ峰)をながめる。タルチェン・ラプランは巡礼の終点だ。われわれはしきりに人びとの注目をひいた。だが、ミルクやチャン酒の餐応をうけて元気回復、二時間休憩した。聖なる峰のしたの高所に、第四のそして最後の僧院を望見した。聖山巡りは、偶然にもこのように恵まれながら終わった。わたしはこれによって、チベット人の宗教を、新しい角度から見ることができた。で、泊った慧海師はヤクに乗って昼前にダルチェンに着いたのだろう。 旅行記(二) この寺はチベットで最も尊崇され最も賞讃されている尊者ゼーツン・ミラレバが開かれた道場で、大変面白い話が沢山あるが皆宗教的専門の事でありますからここで説く必要はありませんけれども、ゼーセン・ミラレバという方は非常な苦行をされた人でまた仏教的の真理を諸方に(巧妙に)顕揚されたところの大詩人である。かくのごとき一大詩人はチベットにおいては前にも後ろにも出なかった。・・・この寺に一夜泊ってその翌日ハムフンギチュ(靴落し川)という川に沿うて降りまして南方のギャンターという寺のある下の方に着きました。 ・・・、通常の道にタルチュン・ターサムという駅場がある。一大市場であってまた租税物を取り立てる所である。その市のある家について宿り、私を送ってくれた人とヤクはそこで暇をやりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/12/12 09:53:24 AM
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