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ポクスムド湖の怪
パドマサンバヴァはダナコーシャという湖に生きる蓮華から出生した。ウディヤーナ国の王の養子として成長、30歳の時、浄化の仏である金剛薩他が現れ、そのお告げにより一切有情の救済のため出家修行の道に入り、当時、チベットのティソン・デツェン王が修行中のパドマサンバヴァを招き、彼は直ちにチベットに赴き仏教の普及を妨害していた土着の神々をタントラの神通力で調伏、神々は必死に抵抗するも密教行者の強大な呪力の前にあえなく粉砕され、チベット初の僧院サムイェー寺を建立た。呪縛調伏(じょうぶく)され、仏法守護を誓わされて、護法の善神にさせるの嫌い、その中の魔女のひとりがここまで逃げてきて村人に一晩かくまってほしいと『決して村人をいじめるようなことはしないから・・』哀願するも村びとらは魔女を家に入れなかった。仕方なくゴンパ(寺院)に頼み込みにかくまってもらったが、一晩中魔女は神々にいじめられて泣き続けた。翌朝、その恨みの涙が澄み切った大きな湖となって村をすっぽり埋づめてしまった。 一部『ムスタン曼荼羅の世界』写真:故松井一・文:奥山直司を参考にしました。 ムグからトルボへ 7月21日(火)ポクスムド湖畔の崖上を歩く すぐカッチャルたちが追い付いた。 崖上の路がつづく 路の鼻に出たけど、ちょっと怖いねんけど・・・。 めっちゃきれいヤン! 対岸の岩肌に被る湖面はその色によって、無理やり水面をイミテーションしたように見えるから不思議だ。約4000mラインを水平に路は作られていて湖面から400m上にずいぶん整備された跡がある。この湖を外国人で誰が最初に歩いたのだろう?パンディットのハーリー・ラムが西のティブリコットからバルブン・コーラ沿いをツァルカに出て、トジェ・ラからカリガンダキへ出たが地図にもポクスムドとかトルボという記述はない。1950年に歩いたトニー・ハーゲンでさえない。1952年、英国王室園芸協会の植物採取隊、ティルマンらと共に調査し、ティンキューやマリユム・ラへ行った人たちもない。シェー山の周回巡礼した慧海師や川喜田二郎隊らも観ていない。トゥィチ、ティッヒーらも・・・。同じころのカンジェロバで有名な故J.M.O.ロバーツも通っていない。1956年になってD.スネグローブになってやっと記述が出てくる。1960年代になってハイメンドロフの東ネパールのオランチュンゴラからフムラのリミ谷(*1)まで記録にもなかった。フックス、それにスネルグローブに同行したフランス人のジェスト、ステイングトンの植物調査の記録、故ハルカ・グルンの“ヴィネッツ・オブ・ネパール”になってやっと出てくる。 (*1)Christoph Von Furer-Haimandorf“Himalayan Treders" Kife in Highland Nepal,1975,London. デレェ・ラムロでんがな! やがて湖水の出口リンモ村が植林された杉の木々右手に見えてくる。 東京『EARTH PLAZA』でありました未知踏進は無事終了しました。 お世話になりましたたくさんの人びとに『ありがとう』を・・・。 忘れ物も出てきましてヨガッタ!ヨガッタ! ところで! 予約ホテルに泊まらずまた山から戻ったNjimaを呼び出して彼んチ で泊まった。GJとも合流してたくさんお神酒を頂きました。 お付き合い頂いたみなさまに深謝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/03/23 03:40:06 PM
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