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ヒマラヤ研究と川喜田二郎
日曜日、民博でフォーラムがあって日ネ関西の共催、AACKの後援、先輩諸氏と再会、濃い内容であった。ネパール開国1951年頃から60年、草創期の故川喜田先生や故中尾先生らの1953年のマナスル科学班の話が出た。アフリカ研究の第一人者の池谷教授の発表はボクらが5月から行くフムラからバジャン、バジュラやジュムラ、カリコット、極西のバイタディとダルジュラに出没するだろうラウテ族の話には引き込まれた。LHO君のマガールの話と53年のシャールコーラの中尾先生の二つの峠と五名花のこと、路が壊れてブリガンダキのビー村とかガブ村へ出れなくなった川喜田先生のツムジェ村などシャールコーラは来月からBLOGを、2007年の未発表のをやろう。大興安嶺探検の逸話、矍鑠(かくしゃく)と話された吉良竜夫先生や懐かしい小林教授、ネワール研究の第一人者の石井教授などのフォーラム(時間切れが残念だった)と酒量の増した二次会も楽しかった。O△教授はK-GURSで欠席、Y/Dr.は夜は横断研へ。ニ次会も楽しい催しだったよ!LHO君のお世話でいい時間を過せました。 民博40周年記念で目にライトが!背中も久しぶりに観てきました。なつかしい ムグからトルボへ 7月22日(火)ポクスムド湖畔からリンモ滞在 リンモ・ゴンパの入口 キャンプの方を見る 七連座のカンニ・チョルテン 朽ち果てた本堂 本堂の崩れた石塀から リンモ・ゴンパのおばさんは『どこでもご自由に・・』と優しいことばだった。七連座のカンニ・チョルテン、タロ・ツァンポのニサルでは濃茶、薄茶、白、淡黒の四連座のものだったし、ムグでは色分けされてないけど四連座で、ブリガンダキのシャールコーラの九連座のものだった。これまであまりこんなことに興味が湧かなかったけど、ちょっと調べてみようと思う。ここのゴンパも新しく湖畔側に新しく建立されたゴンパと寺守りのおばさんの家があって、前にはキャンプへおばさんは遊びによく来てた。ゴンパの旧本堂も朽ち果てたまま放置されてあって、再建立の仕方も違うのだろう、これも考え方なのだろう。 本堂横の朽ちた講堂 本堂 いずれ朽ち果て、崩壊するままになるこれらのゴンパ保存はいったい誰がするの?僕ら一介の旅行者には成すすべもないのだろうか!でも、ありがたい事にチャクラさんから預かってる基金と宗派を越えてチベットの平和を祈念する僧侶の会の基金をフムラのゴンパへ寄付したいと思っている。 キャンプに戻りリンモ村へ出かけて、よろずやへ行く。ジーンズやNYの野球帽子はなかったけど、食べ物はいろいろあって物色。キャンプに戻って昼からテントで休養とする。Tジの調子は良くない。 リンモ村のある家の入口 2F窓 よろずや じゃがいも畑とカンニ・チョルテン そのカンニ・チョルテン 湖の流出口の流れとルンタ 直ぐ木の橋がある キャンプ場に戻る コスモのスタッフ全員記念写真 ヒマラヤ研究と川喜田二郎のファオーラム・パネラー 於国立民博 3/27 司会のLHO准教授 高山先生 小林先生 石井先生 元気に話された吉良先生 池谷先生 斎藤先生 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/03/30 08:22:11 AM
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