|
ツムジェ村(ひとりのフイルドワーカーが・・・。)
故川喜田二郎のフイルドノートが元になったネパール王国探検記講談社文庫1976を読んだ人は彼独自方法論を『あとがき』に書いているけど・・・。 いかに未知の世界に旅立ち、いかにその渾沌を呼吸してゆくか。そして、いかにしてそれについて考え、自分なりに映像を形作ってゆくか。その道筋を、情熱をこめて素直に語っているかだ。十人十色の映像『それでは客観性はどこにあるのだ?』と疑う人は『科学的』ということについて、何か根本的に思い違いをしていると思う。・・・(略)。見るだけでよしと甘んじてはだめである。それについて考えねばならない。 (左写真は)その調査の場所となった Tumje(ツムジェ)の 下村 Tumling(ツムリン) (地図は)Toru Nakano “Trekking in Nepal”Yamakei,1984で Dumjeまでの路は右岸に変わった ブルガンダキとシャール・コーラの山と自然 2007/10/14 ガディコーラから右岸へ渡り、タジュ村からドムジェ(Tumje) タロ・コーラの対岸、コワの民家の広場で(泊) 昨日の早いキャンプは本日、地図では850mの急登りがあることになっていたからだ。小雨降るなか水平路を木橋のあるサルティ・コーラからブッシュの中を登り、急なはずの路は出てこず、岩礫のひどい路となり上から人が降りて来た。ここか路が良くなったから、『ゆっくり行っても大丈夫』とうれしいことを言った。ジャンガルのトラバース路を地図ではグムルン(Gumlung)とある標識、吊り橋を渡って左の急登りを行けば故川喜田先生の調査したツムジェ村へ1500m標高差を登らねばならない。帰りに立寄ろうということでトラバース路をタジュ村へ進んだ。 Chamar South Face アマティクリン・コーラは岩肌の中から一丈の滝があって清流で、ビスクットと水をがぶ呑みして洗顔洗髪もした。水平道の端にタジュの村が大麦畑の未収穫の黄色が樹林帯の中に美しい、対岸も広い樹林帯がどこまでも続いていた。やがて、地図のトムジェ(Tumje)がタロ・ツァンポの出合に見えた。トムジェは故中尾佐助さんの記述、タロ・ツァンポもそうだが、NZ隊(ニュージーランド隊1953)のスリンギヒマール登山隊(チャマール7187m)でも、その名前通りだが、地元ではDumjeと聞こえるが実際は右岸には渡らず、左岸のNZ隊のベースへの路、サルプー・コーラの出合の民家(コワ村)をドムジェ(Dumje)と呼ぶ。タロ・ツァンポもランダン・コーラ(Randang Khola)となってガネッシュ主峰(Yangrra)7429mや旧ガネッシュ3峰北面ルート(81年秋九州歯科大の故KenとMantaらが登った)ベースへの谷である。 右岸を進むとタジュ(Taju)の村が南斜面に点々と民家が出てくる。みんなボディアの人たちだ。 タジュの村一番大きな村でゴンパもあった。対岸のガネッシュ2峰の北面まで樹林帯が・・。 このタジェの村から小一時間でコワ村が、対岸に故中尾さんの書いたトムジェ村が近づく。 コワ村は2軒の民家があって手前の裏畑でキャンプをする。この民家では買い物も出来る。 民家には娘夫婦がいて赤子が・・、濡れた野菜を干した。 夕方、ガネッシュ2峰(前3峰)が遠くに お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/04/06 10:27:31 AM
[Into Shar Khola from Burhi Gandaki] カテゴリの最新記事
|