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シャールコーラの最高峰ガネッシュ1峰7422m(ヤングラ峰)
故中尾佐助さんがシャールコーラに入谷した1953年、ニュージランドのA.R.ロバーツ隊長らはトロ・ゴンパ・コーラ(ランダン・コーラ)から西面の氷河に出て北稜の国境稜線に出て偵察をしていたマックカラム隊員と出合のツムジェ(ドゥムジェ)で会った。彼らがスキンギ・ヒマールのチャマール北峰7165mに初登頂したこと、ガネッシュ主峰とその北のランボ(Lanpo)6848mの登頂できなかったことを知る。中尾さんは彼らの4100mのタロ・ツァンポのBCを訪れている。初登頂は東のサンジェ氷河からフランス・スイス合同隊(R.ランベール隊長)によって1955年秋に初登頂された。 ガネッシュ1峰7422m,チョコンと頭をG6峰6908m,(新)G2の7118m ガネッシュ1峰、2峰、3峰、4峰、5峰と6峰など ブリガンダキとシャール・コーラの山と自然 2007/10/17 ムーゴンパからBCへ 降雪は止んで、肌寒い中をシャール・コーラが東西に分岐するヌレン・カルカへ達すと前方には国境のヤンドール・ヒマラヤの6000m弱の山々に積雪があり様子が変わり、標高の低い山々も姿が変わっていた。振り向けば、好天の中にガネッシュ主峰の北面がタロ・ゴンパ氷河の上部の中にさすが鋭く巨立していた。このガネッシュの主峰はまだ第2登を許してない。その右手の奥に(新)ガネッシュ3峰(Salasungo)7043m見えた。パシュワ6117mとランポ6648mも鋭い頂上を見せたけど、ランポはガネッシュ6峰とした地図もあるけれど、これは間違いで、6峰は(新)2峰7118mのすぐ東南1Kmのところの6908mである。まだガネッシュ連山の標高と名前の混乱の終息は見えない。信州大の報告書1980年ガネッシュ2峰、6峰の報告書が混乱を少しは和らげるか・・・。 右の谷がキーロンへ BCへの道とキーロン北の国境沿い5700m バジョ・カルカのキーロンからの荷がここに 一旦集められて、梱包してラマガオンへ降ろされる BCから上のプーチエン・ヒマール西壁は20キロもつづいている BCとプーチェン西壁 ヌレン・カルカの木橋を渡り、急な岩棚の近道を攀じると4000mラインとなって草付の明るい高原状になってチョルテンが立っている。西の方にはタプレ・バンジャン5104mから慶応隊79年のチャマール北峰への国境稜線が見えた。東のチベット側、キーロンへ越えるマイラタ・サチィン(峠)5297mはその西の5210mの岩峰に隠れていて見えない。やがてプーチエン・ヒマールの6000m弱の西壁が20キロもつづく国境稜線がつつくと左(北)へ流れるヤンドール・コーラとキーロンとの交易で夜半にキャラバンしてきた多くのヤクたちと荷物やラマガオンから上流の人たちが忙しそうに荷を集結していたり、荷造りをしているのが見える。ポーターたちもその周りに集まって買い物をしていた。ヤンドルコーラの右岸へ木橋を渡りなおして、カルカ後の快適な平地をベースキャンプとすることにした。(1:30着)N28 37 778 E85 07 532 4124m BCからチャマリヒマールにタブサール (左)はチョシンヒマールの6426mと6210m BC開きのセレモニーを 上部キャンプの食糧パッキング 夕食 先週末のお休みは・・・。 穂高町の16枚重ね靴下大先生表敬訪問と宿泊授業、青木村と六文銭とんかつと泥酔会、白馬赤げら退治と呑み会で・・・。(参加者)シャチョー、あつちゃん、老師、O形、タニグチ、タケ、コヤマ、ケンちゃん、AKO、タイフーン&ハリケーン、ナマステらは集結しまして、たくさん呑みました。騒ぎました。12枚先生は立派に成長されて重ね靴下16枚とおなりになって・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/04/13 08:09:11 PM
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