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![]() ティンキューを慧海師はテンギュと日記に書いた。川喜田二郎『鳥葬の国』光文社、1960.ではテインギュールと書いた。チベット人(鳥葬の民)川喜田二郎編、角川書店1960.の巻末英文地図:Routr Map of the Japanese Scientific Expedition for Nepal,1958. ではTengyurと記したが、これはインド測量局地図1インチ1マイル表記によるものから参照したのだろう。ティンキュウと表記しているD.スネルグローブ:吉永定雄訳『ヒマラヤ巡礼』白水社、1975. D.Snellgrove"Himalayan Pilgrimage" Oxford, 1961.ではTing-khyuである。大谷映芳『ドルポ』ではティンギュー(ティンキュウ)とあり、地図ではティンキュウ。JAC関西編『チャンタンの蒼い空』JAC関西、2005.ではテインキュー、現地やテンジン・ヌルブの聞き取りでは、ティンキュー『ティン』『キュー』がいいようだ。テンジン・ヌルブはトルボ(ドルポ)のニンマパ、トロン・ゴンパの5代目ラマで、普段はカトマンズ、ボドナート北のアトリェで絵画を・・、7月~8月はティンキューのトロン・ゴンパか村の自宅にいる。妹はチベット側のペンチーシャン村で結婚、夏はマリユン・ラを越えたマリユン・ツォ(湖)のカルカに放牧でいる。この湖では夏にトルボ向けのツォンラ(大バザール)が開かれている。 写真は高野山を探索するテンジン・ヌルブ ![]() D.Snellgrove "Himalayan Pilgrimage" の口絵写真のキャプションは The Lama of Ting-Khyu とあるだけだが、テンジン・ヌルブが我が家でこの本に親父が載ってると悦んだ。親父さんも絵師であり、ラマでもあった。彼らは多くのトルボのゴンパの壁画を描いた。特にド・タラップ、シーメン、コマン、サルダン、シェー・スムドとツァカン、などなどに画く。シェー・スムド・ゴンパは一番新しく、まだ30年ぐらいしか経っていないのと、子どもの頃に画いたもので『筆のタッチが荒く、あまり良くない』という。 ![]() ![]() HS光院の講堂屋根の竜の彫刻には興味があって、歩道側に張り出た塀屋根 奥にあったこの屋根梁を支える像には面白そうに写真を撮った。 壇上伽藍へ向かう前に ![]() ![]() ![]() 屋根のカーブをヒジョーに興味を持ち、材質にも・・、すばらしい!と何度もつぶやいた! ![]() ![]() ![]() 御影堂の御神燈と准胝堂を撮る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/12/25 12:22:41 PM
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