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![]() 大阪狭山はどうやらホワイト・ニュー・イャーを迎えそうな空模様です。北の北海道や青森、新潟・長野・富山の岳友たちには『おいおい!何がホワイトやねん!』と怒りのことばをいただきそうですが・・・。まぁまぁ、ワタイらおおさかジンでんがな!南国みたいなとこにいてまンねん。チィ~とは金剛山が近いからかしら、やや寒ムーて(?)、雪も降るんですわ。 2010年、かなしいこと、うれしいこといっぱいあったけど、みなさんのおかげで楽しく元気に過ごせました。来年はきっといいことが『みなさんにも、ボクたちにも』たくさんあるはず。希望をもって来年もよろしくね。みんなありがとう。 ![]() 写真は大好きなH.ティッヒーです。少人数3人の仲間とアルパインスタイルでスマートにチョー・ オューを初登頂したのは半世紀前、今では誰が、いつ、誰と・・・、と記録に残らなくなった8000m 峰だけど、ネパール側から日本人は誰も登ってない。Njimaどや!ええぞぉ! ところで冬のカトマンズの今朝も濃霧が、多分こんなにきれいに陽は見えないんだろうなぁ! Herbert Tichy " CHO OYU" Gande der G?tter. Wien,1955. Herbert Tichy "CHO OYU" by Favour of Gods. translated by B.Creightonwith a Foreward by Sir John Hunt. London,1957. チベット人・インド人の二大聖地を・・。 ![]() ↓ 河口慧海師は見た水晶山の穴 ![]() ↓の下に穴が空いてる。 一九〇〇年六月三十日(日曜日)西蔵歴同五日 ・・・、その東南対面の雪峯に塔自然生、 簾(れん)自然生の大岩あり。それより東南の山中に上りつ下りつ幾度かして、ある山頂の 草原に達す。この間一里半余。これより西南の雪峯を見れば岩壁に一つの穴あり。この穴 はこの山名跡の開山 sgrub thob Ye shes seng ge(ドゥプトプ・イェシェーセンゲ)の空を 馳(はし)りて岩壁を突き通して開けられし穴なりと。かく自然生に怪説を付したるもの少な からず。それより東に急坂を下ること一里にして岩窟の寺院を見る。 河口慧海『一九〇〇年三月十日から十二月三十一日』日記より 写真はトルボ(ドルポ)のご神体、シェー山(水晶山)です。河口慧海師は右遶(うにょう)して、 つまり右回り周回巡礼して穴を見つけた。その岩窟の寺院(ツァカン・ゴンパ)の前から撮った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/12/31 09:35:45 AM
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