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カテゴリ:DOLPO
![]() そのツォイ・ラのティンキュー側の放牧地と南のトッキュー村上部の放牧地、ノマ・ラ(南・北)ジェン・ラ、ランモシェ・ラなど・・・、バガラも含めて2000年頃から『猫も杓子』も『ヤチャクンバ』『ヤチャクンバ』採りとなった! 現金収入がひと夏で当初はン万ルピーだったのが、2003年には1000匹x150Rs=150.000Rs 約30万円にもなった。毎年、上がりぱなしで今年は250Rs 250.000Rsとなりルピーの値打ちもインド経済が上昇、なぜかネパールルピーも一向に価値は下がらず・・・。昨夏に発生したマナン北のプー村では村民全員が関係するヤチャクンバ他村から侵入者阻止殺人事件が発生した。温厚なトルボ(ドルポ)内も同じような村落対立、つまり身内どおしの戦いがついに起こった。で、ド・タラップ全村がティンキュウ全村の村民のヤチャクンバ採りを禁止した。もちろん小競り合いも起こる。それまで、お互いに住民は結婚したり、生活共同体としてポカラのチベッタン難民キャンプで同じ生活をしている者らが・・・・宗教的に何の差別や争議が少なかったのに・・・。諍いから戦いに、怪我人続出となる。 そこで対抗処置としてティンキュー村民は・・『よお~し、この仕返しはしてやる』『ぜったいに』! ![]() ![]() ジェン・ラから東の5294mの無名峠を越えて、ツォイ・ラ5051mの 尾根北側をトラバースして、ティンキュー村右股(モー・ラ)への スルン・コーラへと下ります。 ![]() トルボ(ドルポ)ド・タラップ地方のこと ドルポのド・タラップ地方にトキュウという村がある。その昔、K/Kさんが『秘境ヒマラヤ父と子の旅』という本を出版した。1990年にこの地を訪ね、ポクスムド湖へ出るのにヌ・マラ(ノマ・ラの間違い)を越えようと試みた。が、その向こうには中国兵が(バガ・ラ側の西側に)今、中国軍がキャンプを張っていて、たとへネパールの警察官でも捕まれば中国軍に連行されるが、興味があるがみんなに迷惑をかける・・・。のくだりには緊張して読んだ。時は1990年8月8日、ノマ・ラ(南)5148mからバガラへの路にどうして中国兵はいるのか不思議?だった。川喜田二郎、慧海師らはツァルカから北へ・・・、ただ川喜田隊の登山隊として分かれた一隊だけが、このドゥー・タラップの上のトッキューには入っているようだ。そこからさらにカンジロバ・ヒマールを目指して登っていったのだが、残念ながら登頂は果たせなかったとその本には書かれていた。『う・・・ん?そうかなあ???』 川喜田二郎『鳥葬の国』1960、光文社. 川喜田二郎編『チベット人』(鳥葬の民)角川書店、1960を本当にK/Kさんは読んだのかな?帰り路は確かにシェーから、セラ・ムクチュン、ランモシェ・ラの北側、ジェン・ラを通り、トラバースしてツォイ・ラからトッキュー上の峠、ツォイ・ラのティンキュー側のスルン・コーラを通りモ-ラを経由してツァルカに戻ったと故小方全弘(まさひろ)さんは地図に書いてますけど・・・。往路も復路もトッキューへは行ってませんけど。 ![]() ![]() ![]() ![]() バガ・ラ(バガール・ラ)5105mへの草原峠にはヤチャクンバ採りが一杯いて ![]() ![]() 峠からこれから出かけるノルブカンNorbu Kang 6085m が見えて、その右の雲間から Kangfu Gaton( Kanta Gaton) (Kang Tega) 5916m N29 07 02 E82 59 45の許可峰 (未踏)が見えた。 ボクたちはバガ・ラ(峠)からノブルカン登山で遊び、マンドァ)Manduwa Kholaを下り、ポク スムド・コーラへ出ずに、手前のMauwa村から樹林帯の急登をしてリンモ村へ出たが、そ の途中のジャンガルの樹林の合間からネパール最大の瀧(ポクスムド瀧)が正面に見える。 ![]() ![]() この3連休はヒロッタン運転のお車に便乗して長野へ。 ![]() 老師は大雪だから途中から電車に乗り換えるように・・・、と指示がありましたが全く雪なし。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() トンネルを抜けて青木湖辺りから、やや積雪が鹿島にも・・。 ![]() 八方尾根が見えて、スキー場も見えてきましたが、スキーヤーやボーダーは少ないようでして ![]() ![]() さて ? ここでいったい何が始まる? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/01/11 02:16:09 PM
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