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カテゴリ:DOLPO
![]() ティンキューの村びとがド・タラップ連中のヤチャクンバ採りの妨害とやめさせた仕返しは、マリュム・ラを越えてチベット側のツォンラ(バザール)への生活物資の仕入れ、つまりヤクのキャラバンを阻止した事に始まる。ド・タラップ地方だけでなくバルブン・コーラ、ツァルカ周辺の人たちも通過させなかった。昨初秋の交易はマリユム・ラを通らせず、韓国製ヒョンダイのユンボ(ブルドーザ)による道路建設でヤクたちが安全荷を運べるようになったのに。ひと騒動に発生して住民どおしがいがみ合ったのです。ラマや村長、長老などが調停に走り、ネパール政府(マオバティ)まで出てきて、騒動が収まるのに数日かかりましたのです。 トルボ・ティンキュー村のチベット側、マリュム・ラを越えた広大な高原には、チベッタンが放牧地へ移動する手段は中国製トラックを・・・、一切の生活用品を満載した焼玉エンジン(漁船のエンジンみたい)をド・ド・ド・と黒煙を煙突から上げつつ走り去りました。 ↓ ナムラ・ゴンパ ![]() ↑ トルボのティンキュー村 (国境峠マリュン・ラが北にある) Map : C.Jest "Dolpo" Paris,1975. ![]() ナクチューシャンの峠から見たチャンタン大高原、左にムスタンのチベット側、北ムスタンヒマール 『ドンルン・カン6369m』の△形の山が、そしてムスタンの国境、マンサイル6235mからアルコニ チュリー6034m、ピンドゥー・ラ周辺のチベットの山6145m、ゴータムヒマールが西へとつながっ ていた。 ![]() 上写真の真中がゴータムヒマラヤで、左がマリュム・ラへの谷、マリュム・ツォがあり、その右 岩山がエナン・ツォ(湖)があって、エナン・コルシャからエナン・ラへの谷、両谷出合いにトルボ の人たち用にチベッタンが日用品バザール(市場)が初秋に開かれる。 ![]() ![]() その大高原をジープで爆走すると正面から『・・?ン何?』『バ・バイク!』そうですチベッタンの 牧童たちは馬には乗らなくなった。みんなバイクで高原を走り回る。 ![]() ![]() マリュン・ツォの北、キャトウ・ツァンポ(川)を渡ると付近がペンチューシャンという地名のチベッタンの村びとがいる村落、S.ヘディンがムスタンへ密入国して帰りに立寄ったナムラ・ゴンパ、その手前にカキュパの鳥葬を司るセルチェン・ゴンパがある。今でも鳥葬をする唯一のゴンパらしいが、最近ではあまりされないらしい。 ![]() ![]() ↑ ナムラ・ゴンパ 拡大 セルチェン・ゴンパからランドクルーザーで約1時間、広大な湿原、というより池と川が流れ、その向こうの岩山にセルチェン・ゴンパ(ニンマパ)が・・・。接近路を見出せなかった。 高原に戻るとチベッタン・テントがあって明るいチベッタンの女性たちが集まって来た。 ![]() ![]() ところでド・タラップのトッキューの寺院と峠の写真が出てきたので・・・。 ![]() ![]() トッキューには五つのゴンパがあって、一番大きなチャンバ・ゴンパ、お祭りが あってギャリンを吹く僧侶と大きなホルンのようなトゥンチェンを吹く若い僧たち ![]() ![]() ![]() 真中の雪面を直登する ![]() 左にカナダのアッシュニボインのようなパルチュムハム峰6529m、そして イェメルンカンとかクン・ラにギャンゾンカン岩峰が見えるが・・・。 そして谷へ下るとナムグンの5っの村へ、そしてサルダンへと・・・。 左の尾根をトラバースするとシェー・スムド・ゴンパだ。 おまけ ![]() ![]() 白馬行き(2) 八方尾根とジャンプ台が夕陽にまぶしく・・。不帰の三峰、ニ峰、一峰東面を懐かしく見る。 アコ宅には約30名が泥酔+泥睡+夜通し組も・・。夜が明けて朝から善男善女が約80名 集まり一周忌をやりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/01/13 10:48:53 AM
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