|
カテゴリ:DOLPO
![]() ドルポ(トルボ)のティンキューには6ヶ所のニンマ・パのゴンパがあったのだ。ボクが知ってるゴンパはテンジン・ヌルブのトロン・ゴンパ 1 (ニンマ・パ)N29 21 57 E83 18 35 4520mとポルテ・テ手前のソティの三軒屋の手前の民家風の鍵がかかったままのバルン・ゴンパ 2 N29 20 42 E83 19 15 4320m、ティンキュー二股の岩山 4795mの手前コルの西側に地図上でタルン・ゴンパ 3 N29 20 32 E83 18 16 4680mの三つしか知らなかった。テンジン・ヌルブは新しく教えてくれたのは、テンジンの学校からダウ村と地図にある無名沢を 1500m入ったコンドー・ゴンパ 6 N29 21 42 E83 19 20 4520m、ピンドゥー・コーラの向かいのクーラカン 5584m の東山麓ティーツェン・ツォの手前、4890m 尾根の下にプラノ・バルン・ゴンパ 4 N29 17 52 E83 20 55 4800m、ピンドゥー・コーラすぐ次の無名沢を1キロ入谷したらあるランドン・ゴンパ 5 N29 18 26 E83 22 35 4800mの三つのゴンパがある。全てがニンマ・パとのことだが次回は立寄ってこよう。D.スネルグローブ『ヒマラヤ巡礼』吉永定雄訳、白水社、1975.ではふたつとある。 ![]() "TINJE" 1:50000,Sheet No.2983-10のPolte Goun(ポルテ・テ・ガォン)村で見たトルボ(ドルポ)女性は昔は多くの女性がTIPU(ティプ)と言われる(ブリキ)の髪飾りをしていた。ティンキューでも、下流のシーメンでも・・、けれど今では殆ど見られない。僅かポルテ・テの村にはひとり女性がいた。でも、いつまでこんなひとがいるのだろう。写真 は1958西北ネパール探検隊の並河治さん撮影のティプをつけたひとの写真。 ![]() ティンキューからポルテ・テへはパンザンコーラの上流(地図ではポルテ・コーラと名を変える手前、ラザールコーラの広い広い出合手前)へ7Km行く村、逆にティンキューからパンザンコーラを下流へマリュン・ラへの出合、パルワ村から廃村になったソンマ村を過ぎると河原が狭くなりゴルジュになったところに来る。ここから広河原になり、所々に大きな岩にオン・マニ・ペメ・フーンの観音の六字真言が刻まれている。 ![]() 自然石に刻まれた経文 写真 並河治 川喜田二郎編『チベット人』鳥葬の民 角川書店 1960. ![]() その経文はこんなに大きな岩なのです。 ![]() ↑ 半世紀前のモノクロ写真並河治さんが撮った岩の経文は全くそのままの姿で今も健在なの ![]() 『ね!いっしょでしょ!』 ![]() ![]() ![]() そこから2kmほど下ると木橋が対岸に・・・、D.スネルグローブは廃村、廃寺はあるがと記しているが今では立派なニンマパのナムヤル・ゴンパが建立されてラマがひとりと家族も・・。対岸にもトレイルあって『タィ』という小さな畑と家があってティンキューへとつづいている。 ![]() ![]() そうそう三連休日曜日は白馬で・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() 参加者ナンバー14 15 16&17 上記写真M大山岳部OBらで、呑み会終了後、タ・タイチョーらアッちゃんチへ 約7名帰りに寄って、六文銭と田沢泊と露天風呂を愉しみ ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/01/17 12:30:22 PM
[DOLPO] カテゴリの最新記事
|