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typhoon6103

typhoon6103

2011/01/22
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カテゴリ:DOLPO
Phijer D.スネルグローブに同行してたのでC.ジェストも同じスペリング、この地図の2000 年のAJに書いた『カンジロバについて』はムグからポクスムドへ出たJ.タイソンの2000年10月の記録である。初期のカンジロバ地図を画いた彼はPhijorのスペリングを使用した。東京山旅倶楽部の付図で先輩、吉永定雄は、先人とスネグロ翻訳をした関係でPhijorと記した。面白いのは川喜田二郎編『チベット人』鳥葬の民、角川書店、1960ではPhijierとしている。ネパール新地図では "Bhijer" Sheet No.2982-12ではBhijerとスペリングしている。面白いことだが、地名など参考にしているインド測量局、1インチ1マイルの 1967,62K/15 を見ると、Bijorgaonとしていて、サムリンゴンパに近いTe村を同じくBijorgaonとしている。いや!『地図』っておもしろいなぁ!この際、ここはネパールなのでBhijerとするか?ドルポをいつまでも『トルボ』というボクらははやり“Phijor”としたい。

写真は川喜田二郎隊のカルマロン行きの曽根原さんの写真でヤンブル・ラのラプチェ 

ヤンブル・ラのタイフーン.jpg 夜明けを震えながら待つタ・タイチョー

インド測量局のScale-1 inch-to-a-mile-Survey.

Scale-1inch-to-a-mile-Surve.jpg Bijorgaonとなってる。

Jest-map.jpg Phijor by C.Jest-map.

ビジョール村のチョルテンと村落、ダサイン用のカシの放牧、背後にはヤンブル・ラ
への裏山の炎天下の路がつづく・・・。川喜田二郎隊のカルマロンへの山旅の路へ・・。

ビジョールの村とヤンブルへ.jpg '58並河治さん写真

ヤンブルへルートを.jpg ヤンブル・ラへの路をタ・タイチョーが撮る

Iビジョールの村とヤンブルへ.jpg ビジョール村とヤンブル・ラへの路

ビジョールの人々(1958年:並河治さん撮影)

ビジョールの老人.jpg ビジョールの男aad.jpg

ビジョールの男Abf.jpg ビジョールの女性Acc.jpg 

ビジョールのサキャ・パ寺院はUSAのNPOというか商売人というかゴンパを
新しく改築して、仏像まで黄金キンピカ台湾製の仏像(写真撮影厳禁)を・・。
一番先にタ・タイチョーが・・、そしてカルマ・テンジン・ラマと再会!ツァンパ
をゴンパ前でおばさんらがこさえていて、煎り立てを勧められる。『ミートツァ!』
USAのNPOは目下トルボ最大の病院を建立中で・・・。

ビジョールゴンパ.jpg ビジョールのナサル・ゴンパ

ヤンブルラのラプチェ.jpg ヤンブル・バンジャン 4815m ラプツェ

その峠からカンジロバ方面の1958年の曽根崎さんのパノラマ 

カン・ニュン・トン↓ 6248m ↓カンジロバS峰 6883m N 6861m
カンジロバ、カンヤザをヤンブル曽根崎.jpg '58年ヤンブル・ラを曽根崎さん

そのツオカルポカンとカン・ニュン・トンとカンジロバの大パノラマ

カンジロバパノラマ.jpg

ツォカルポカン6556m.jpg ツォ・カルポカン6556m 北壁

この写真を撮るためにAm3:00にキャンプを出た。1971年初登頂者の
M谷は遅れて出発、展望はならず雲の中だった。『ざんねんでしたね』

カンジロバでおます.jpg

カン・ニュン・トンからカンジロバへのパノラマ

カンジロバN6861 S6883m.jpg カンジロバ遠望

夜明け前のヤンブル・ラから正面に見えるカン・ニュン・トン 6248m

カンヤザ5962m.jpg 





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Last updated  2011/01/24 12:24:27 PM



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