|
カテゴリ:DOLPO
![]() サムリン・ゴンパについてはD.スネルグローブ『ヒマラヤ巡礼』吉永定雄訳、白水社、1975.に詳しいので省略する。ただポン・パであるけど、ビジョールの人たちはトルボで一番古いゴンパはビジョールにあり、最初の行者がマルコムの上の瞑想屈を見出したとほぼ同時期にここに瞑想屈を開いたヌルブ・ギャルツェンで、人たちがナサル・ゴンパを建立、そしてサムリン・ゴンパも建立した。彼らはチャンタンのシャンシュンからやって来たと自負し、ポンパの祈祷句『オム・マティ・ムェ・サレドゥ』、崇める尊師シェンラップの真言『ア・ア・カル・サレド・ア・ヤン・オム』 を唱える。この真言を念じつづけていれば、その人自身が存しシェンラップに合一し、輪廻からの解説が得られると信じている(スネグロ説)D.スネルグロ-ブ『4人のラマ』“Four Lama of Dolpo”Oxford,1967.の付図では『ヒマラヤ巡礼』よりサムリンで越冬した成果でますます地域研究が進みビジョールのローマナイズは Bi-cher と変更し、ニサルの dMar-sgom ゴンパをも調査している。 ポンパは右遶(うにょう)卍する、他のチベット仏教信者は左遶(さにょう)左廻りする。 ![]() 上:ア・ア・カル・サレド・ア・ヤン・オム 下:オム・マティ・ムェ・サレドゥ ![]() ↑サムリン・ゴンパとビジョール ![]() ↑ここにナサル・ゴンパがあって、ビジョール村全景と背後のV字がヤンブル・ラ ![]() D.Snellgrove"Himalayan Pilgrimage"Oxford,1961. Samling Gomba and the "Copper Mountain about 19.000ft. 後はシェー周回巡礼の最初のコル、そして菖蒲の花の谷メンドキン・コーラで、 銅の山は4804mでスネグロのキャプション19000ft.なら6233mもあることになる。 そいつはカン・ニューン・トンで6248mで,もう少し西なんだけど・・・。 ![]() 半世紀経った今でも全くそのままの姿です。壁画は変わりましてけど・・・。 ![]() スネグロ撮影です ![]() 並河治さん撮影です ![]() タ・タイチョーと同い年だね!と生年月日を確かめたDD5が悦ぶ! ふたりは固く手を握り合い(アル中でお互い禁酒が必要ね)と ブルブル震えながら、涙しつつ握手をしたのであります。グスン! ![]() スネグロも川喜田隊もこれまで全くボクらも解らなかった シェー山が近くに見え、ここでキャンプしてセンゲイェシェー の開けた穴を探しました。メっけ!DD5はコーフンしとった! ![]() ゴモチェン・ゴンパが新しく改築されて朱色のゴンパに変身、17/7/2010改築記念式典が 盛大に行われて、テンチョー・チョーキャップ・ラマに式典ご祈念 5000Rsを寄進しました。 ![]() 道中、ナウルをたくさん見ました。 河口慧海師は山中の獣類、ニエンは鹿の一種にしてその形山羊に似て山羊より大なり。彼らの老いるや、その角非常に長大にして下に曲がり下がるが故に、草を食うこと能はずして死す。と日記に記しています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/01/25 11:12:28 AM
[DOLPO] カテゴリの最新記事
|