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![]() 1959年春、村木潤次郎隊長と6人の若者たちの第一回目に参加した先輩諸氏には、ずいぶんお世話になり、また可愛がって頂いた。故T田さんはE海プロジェクトや六甲ゴルフやカトマンズのゴカルナC.C.でも楽しんだプレーを想う。マメさんにはHJや何んやらを、老師は省略するとしてT邊さんは名を寿『ひさし』と呼ぶ、羨ましい名前で笑顔が絶やさない素敵な紳士だ。二年連続で大手小売店を休ませて貰ってヒマラヤ行きは実力の一旦であろう。翌年の1960年、ンガディ・コーラから上部氷河台地、西峰北西斜面C5、西峰と主峰間にC6を設けてアタック!T邊さんらK.O.大隊が初登頂した。会合で来阪された先週の土曜日、老ヒマラヤニストらふたりと呑み会をした。みんな歳相応に愉しい話に笑いが絶えなかった。氏は冬の立山を描くといい夜行で5度目の写生行きの富山へ元気に発った。 写真はJAC年報『山岳』第56号、1961年より 1960年5月24日登頂隊員 H.T.nabe ![]() ![]() 好爺ふたり 新人爺+ふたり ![]() チャンディ・コーラの下流は激流がタンケ・コーラに流れて。ラングー・コーラ(ナムラン)と流れ 名は変わり、そしてムグ・コーラと合流してフムラ・カルナリとなり、カルナリ大河となります。 その源流、チャンディ峰6623mの東懸垂氷河が・・、その奥が不思議とネパール領の逆U字 状に氷河が入り込んで・・・、地図のようになっています。懸垂氷河は880mもあります。 ![]() ![]() モチ!未踏峰ですが未解禁でもあります。チベット側はランルン・カンリと呼ばれている。 長い間、この山の名は解らなかった。1958年川喜田隊の並河治さんの写真、同じ写真が『チベット』鳥葬の国の口絵写真にある。1999年タケとふたり西行きしたとき、インディアンマップを持って、ネパール地図1:50000の青ヤキコピーをもあって、始めてこれがチャンディ6623mと解った。シアトルの岳友、ピーター・アクロィも数年前、ここまで来て写真を撮ってメールで送ってきたなぁ~。ムフフフ・・。 ![]() (左)チャンディ峰6623mで懸垂氷河を挟んで(右)東のパルチュムハムガ・ヒマールの始まる 6293mの無名峰です。懸垂氷河奥に陽が当たるチャンディ氷河と国境稜線の右奥に6328m。 ![]() チャンディ峰南壁は逆層の岩壁丸出し・・、西には岩峰5618m、5508mなど岩峰が南側 (チャンデイコーラ右岸つづいています。 ![]() ポパ・ラからポパ村への稜線から降り返ると偶然にも雲の中から陽を浴びた チャンデイ氷河の上部が、こんなにはっきり見えました。もちろんボーエンで たくさん撮った中のひとこまです。左のチャンディ頂上に向かって雪稜が延び てます。北東壁をダブルアックスで一気に・・・、チベット側でない証拠写真。 ![]() タンケ・コーラの川床のジャンガルは針葉樹が一杯あって・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/02/07 04:36:17 PM
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