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カテゴリ:グレート・ヒマラヤ・トレィルに遊ぶ
青木文教『秘密乃国西蔵遊記』内外出版、大正十年(1921)
大正元年九月二十一日(1912年) 左右の山々は薄く白雪をいただいている。中腹には黒い巌石が無数に露出し一本の高い樹さえ見えないが、麓の流に沿った部分には杜松(としょう)、つつじ、石楠花などの潅木の間に樅樹(もみのき)が疎に生えている。雑草は早や冬枯となり、ただ野生の大根らしいのが青々とした葉を残しているばかりである。 ・・・(略)高く登るに従い、空気は益々稀薄となって山暈(やまよい)を催す。到底隊商と同行することができないので、路傍で少憩を取り、従僕の勧むるままに一杯のムンチャ(酒の一種)を口にし、元気が恢服(かいふく)して行を続ける。数キロ進み酒気が去るとまた眩暈を感じ頭が痛い徐行すればよいが、路を急ぐと今にも昏倒せんとする。 2012年9月24日(月) タンゼー・タールでキャンプする。 ![]() ![]() 夜11:00まで咳きが止まらず。夕方から降り出した雨も同じように止まず 深夜までつづいた。朝の5時になってやっと止んで、早速ミルクティが出た。 朝食は6:50、すぐ出発。タムール河の本流から左股はディンサンバ・コー ラとなっているが、これはインド測量局の古い名称をそのまま使っている。 ルンバサンバ・コーラがいいのでは・・・? ![]() クンバカルナ(ジャヌー)7711m の頂上付近は他を抜きん 出ていた。こんな谷の中からでも見えるのだ! ![]() 右岸のラリグラスのジャングルを行くスタッフが小さく見たた。 ![]() ![]() 左から5100mピークからの沢、谷は右に折れ、背の低い石楠花林と大岩が点在してボルダリングの要領で上る。下の右岸へ渡ったスタッフたちは路らしき所を進んでいた。川床に下りて渡渉、右岸沿いの小路を登る。4325mの台地で昼食のラーメンスープ、ここから谷は左に折れて、50mほど登るとタンゼタールの広河原となる。タールは広河原の意味で、広い放牧場のようになっていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() N27 44 018 E87 41 195 4466m のキャンプ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/04/03 10:44:29 AM
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