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青木文教『秘密乃国西蔵遊記』内外出版、大正十年(1921)
大正元年九月二十二日(木)(1912年) 銀の山銀の海 西蔵人は元来高原に育っただけに約七〇〇〇メートル以上の山上でも平気であるが、山に慣れぬ予らは(青木文教のこと)約六〇〇〇メートルの辺に達すると、もう行動の自由を失い、動物の背を借らねばならぬ。予は今ヤクの背にのせられ、両側の荷物の間に毛布を敷いて趺座(あぐら)をかき、荷鞍を固く持って揺られながら運ばれた。 氷雪の景色を見渡しながら一行と語るにも壱(ひとつ)も苦痛を感じなかった。隊商共は絶えず口笛で牧歌を奏しヤクを遂いながら両手で羊毛を紡ぐなど余裕綽々たるものである。こうして氷河の間に通ずる一筋の小路を前進し、約一〇〇メートル毎に必ず立止ってヤクに休憩を与える。 2012年9月25日キャンプに12:15着 N27 44 202 E87 39 429 5034m カール状の小さい方の岩礫へ向かって尾根を登る。小さな涸沢に小さなラプチェがあった。 ![]() やがて、大きい方のカールが下に大きく広がりスムブルマ(Sumbruma Dada)の西、5740mピークの南東稜、5000m上部から岩稜になっていて、パルン・コーラは600m下に大きくカール状になっていて、その5740mが向後元彦さんよって逆から横断してきて、ルンバサンバ主峰と『一人ぼっちのヒマラヤ』1964年、ベースボールマガジン社の口絵写真に記された。 ![]() その下のカール下部には大きな池があって、その東南東にクンバカルナ(ジャヌー)7711mが見えた。 ![]() 左のコルへ誘う大岩に小さな積石があって、それを見つつ右のコルの方へと進んだ。 ![]() ふたつのコルが近づき、左の奥に向後さんの言うルンバサンバ主峰が雲間に見える。ボクらは、ここで左に浅い池があって、時期が早やかったので流れの傍でテントを張る。 ![]() 時間が早いので、設営後にI沢、K斐のふたりで左コルへ偵察に出た。天候悪化の気配濃厚のガス ![]() 見る見る内にガスに包まれ、雨が降り出し、テントの中で夕食までまんじりもせずシュラフに入る。明日はM実とふたり先行して右のコルへ。キャンプをベースにしてI沢とK斐のふたりでアタック、ベースにサーダ、コック、キッチンスタッフの3人、サンディ、ジィはキッチン用具を運び、タ・タイチョーの後を追う。 ![]() ![]() 上ルンバサンバは国境から右コルまで11キロ、下ルンバサンバは右コルからタプレジュンへ出る街道タグ・ラ峠(4820m)まで14キロあって、向後さんが言う5740mはピラミダルで一番かっこいいが主峰ではない。主峰は5816mでN27 41 56 E87 37 32、二番目が5772mでN27 42 43 E87 37 32、5740mは三番目のピークでN27 42 38 E87 37 35である。上のピークは5400m~5600mでそんなに高くない。上ルンバサンバの5262mの左コルから北西のラサ・ダダの岩峰群5230mの周辺であろう。ボクたちが明日行くタドム村のメドクサゼ・コーラ(Medokchheje Khola)上流、レーサ・コーラともいう国境峠はオンボー・ラ(国境標識:76)タドムの人たちはここを越えて交易に出る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/04/07 12:47:44 PM
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