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カテゴリ:グレート・ヒマラヤ・トレィルに遊ぶ
2012年12月13日(土)
ジュムラのメインストリートを南から見ると右手にヒンドゥー・マンディール2寺院が あって、通りの突き当たりにクリシュナ・マンディールがあります。8月上旬に大祭り が盛大に行われる。ヒンドゥーの仮面、単調な楽隊が奏でる音に合わせてよく解か らないけど、追い駆けっこが長い時間される。ヒンドゥーの人びとはシ~ンと見守り 緑色が重要なのか、寺院も緑色の建具で守られているのだけれど、緑色の布で包 み込まれて、クリシュナ神に変装した男は大刀が、ワァワァ~!キャキャ~!ピ~ ピ~!と指笛が鳴り止まない。以前の夏、ボクらはボーゼンと見るのみだった。 ![]() 1972 年東京山旅倶楽部のカンデ・ヒウンチュリ峰登山隊の報告書 B5判横製本の変形だが、表2ジュムラの写真が1枚、すっかり変わ ってしまったメインストリート、Y永定雄の画いた地図の綴じ込みが 生じて、何度かムグ・トルボへ出かけ、国境付近をGPS・パソコン を持って出かけ、カタカナ表記の地図を出せました。この地へ行け る原動力となった本でもあります。 ![]() 1969年神戸商科大稜線山岳会カンデ・ヒウンチュリ登山隊 報告書より、秋に主稜線にC4を出して6500mを最高到達 点で敗退、昔は笠ヶ岳東面穴毛谷で会ったっけ・・・。 ![]() ![]() その前のヒンドゥー祠 ガナバティ(ガネュシュ)は学問・商売の神さま、困ったことを取り除き、やがて幸運が ![]() ![]() ![]() 祠を過ぎると最近はトラックで大量にネパール製品、インド製品が持ち込まれて ここでは中国製品は人気がない。あらゆる商品が揃い、IT関係の進出がすごい。 ![]() 山旅倶楽部の翌年、故川村英二教授隊長らのセルク・ドルマの 報告、登頂後ポクスムド湖を筏で横断、ノルブ・カンへ接近した。 ボクらにBCへのルートを教えてくれた報告書でもある。 左右の商店などはそのまま残ってる。 ![]() 1973年の秋、Kuwansei U.のK田千秋のジュムラの写真、単独で ダイレクからバルブン・コーラを遡上してツァルカからジョムソムへ。 H大の佐藤さんらのジァグドゥラ・コーラ遡上偵察バルブン・コーラ とほぼ同時期なんだ。O大カンジロバ報告にはジュムラ写真がない。 ![]() HAJ北海道会員が主になって1973早春、カンジェラルワ初登頂、 故アベジュンさんが編集したので、彼らしい素敵な報告書で、日 本の記録抜粋がまとまっている。K極さんの頑張りで登ったHAJ らしい報告書でもある。 ![]() メイン道路北端にあるクリシュナ・モンデール、南側。東側に近郊 農家のご婦人がたが野菜の朝市がでる。3色の囲いで守られている。 ![]() ![]() クリシュナ・モンディール東側からメインストリートを見ると ![]() 左側に衣料品、雑貨、穀物商店がつづく。品数がずいぶん増えました。 ![]() 空港への路の凹角の野菜、穀物、IT・SIMカード、雑貨などの商店 ボクたちはいつもこの店で冷やかすのですが、価格は交渉次第ですね。 ![]() その商店からすぐ右にSIMカード店、向かいは乾燥果物、チュラなどあり。 ![]() ![]() ![]() 東京山旅倶楽部登山隊のK畑茂の写真、たぶんチョーダビシ・コーラで出会った マトワリチェトリのマスタ像に導水管ダーラ。飲料用、沐浴や洗濯場に変身する。 マスタ像の小便小僧を模した導水管は誠めずらしいものだ。K畑さん、本人もめ ずらしい人間で、西北ネパール、ムグとトルボ狂でもある。変人は変人を呼ぶ! カンデ・ヒウンチュリ初登頂者でラングー・コーラ2番目に遡行した焼津の男。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/10/11 08:32:51 AM
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