|
カテゴリ:グレート・ヒマラヤ・トレィルに遊ぶ
2012年12月13日(14日)
~(17日)Am5:00 カトマンズ着 今朝も降雪、ダフェ・バンジャン(峠)付近も相変わらず深雪で真白で、 シンジャへの山麓路もラッセルが思いやられるし、スニカーやトレック シューズではベタ雪での、あと1ヶ月のトレツクは難しい。結局諦めて カトマンズに戻ることにした。手持ちのパイサも3.2ラック、年内に帰国 を考えることにした。スルケットへはローカルバスをも体験しておきた いので、昨夕方手配してみると11:00 Am 発が全員分が取れた。シェ レバラ泊、翌々日の15日夕方にはスルケット着ということである。1500 ルピー x 11名、荷物代が10.000ルピー、スルケットからはチャーター・ ミニバスを利用することにした。積雪+途中挫折ということに。 ![]() 『バジェ・カトマンズ・アヨ?』『フンツァ』と顔見知りになつた子どもたち、 バス・ターミナルまで30分、乗客は次第に集まり超満員となる。12時 前に谷側路肩なし、恐怖のバスは出発、6時間後の真暗になったシェ レバラのバッテイ前に到着。夕食のタルカリバートを食してバス中でビ バークとなる。スリーピングバックは外天井の荷物中で全員、何もない 寒いビバークを迎えることになった。 ![]() 薄暗い朝、弱々しくエンジン音、発車で気分は和らぐも、すぐトラックが狭い 道路で立ち往生していたり、対向車と入れ違うのにバックしたり、高度感の あり過ぎる谷側の座席では、揺れる度に眼を塞いでしまう。カリコットで昼 食、ティラ川へ下る長い道路、橋でも大渋滞、どんどん時間が過ぎて、やっ とダイレクとの分岐点手前、5:00 Pm お茶休憩で温かい茶とビスクット。 今夜はスルケット着は甘い希望となり 8:00 Pm ルンシュールのバッテイ着 スタッフたちが残りのカシ肉でカレーシチューを作り、温かい夕食が11時。 ![]() ![]() とにかく2日間がこんな感じの快適バスの旅でございました。 ![]() ![]() ![]() 3日メになるとバス助手2名もややお疲れでの様子、 入口にぶら下る姿も元気がなくなります。スルケット が近い雰囲気のする美しい野菜ファームを通過! ![]() ![]() 朝の6時、バッテイでお茶とビスクットを頂き、ここからまだ6時間もかかって やっと正午にスルケット。バスターミナルに到着しました。カトマンズへはもう ローカルバスはしんどい!早速チャーター・ミニバスを手配に・・・。交渉不成 立がつづき、結局バスターミナルのチケット売り場で交渉するのが一番安価、 40000ルピーで交渉成立。ホテルに預けたデポ品を回収、礼金を払って車内 でビールで乾杯、ネパールガンジ、ブトワルからポカラへの道、夜中を走りつ づけてカトマンズに 5:00 Am。シャングリラ・ホテルのバスタブに浸る。 ![]() ![]() スルケットのバス・ターミナルの売店 ![]() ![]() == O市大・ドルジェ・ラクパ峰登山隊・2013、W田(城)写真集 == W田(城)もスルケットが最終到着点となり、12月早々にローカル バスでカトマンズ、2013年のネパール滞在150日以上となり、 ビザ延長がならず帰国。すぐ平戸~厳冬の奥の細道から日本海 側を南下の旅をつづけた。ドルジェラクパ周辺の写真の中から愉 しそうなものをいくつかを特集します。 ![]() ウルキンマン6151m北壁、なぜか不思議とドルジェ・ラクパのメムバーには 初登頂者がいて、ボクらのメムバー4人とも、この北稜初登攀した者が偶然 揃いました。初登頂は1964年西壁から、ランタンりルン断念後、1978年に W田(城)らがランタンリルンに初登頂した。 ![]() ウルキンマン・ベースからドルジェ・ラクパ西稜を見上げる ![]() ウルキンマン峰・赤ラインが北稜登攀ルートと(下)未踏の東壁とドルジェラクパ 6996m のベースキャンプのオープンニング・セレモニー ![]() ベースキャンプからランシサ氷河内院、(左)グル・カンボ・リ 6891m (右) (中央)レンポ・ガン 6979m ビック・ホワイト・ピークの名で日本人には忘れ られない山で、右のドルジェ・ラクパの北壁は今だに未踏を誇る。 ![]() ドルジェラクパの北壁のズームイン ![]() レンポ・カン(ビック・ホワイト・ピーク)西壁 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/10/13 06:25:08 AM
[グレート・ヒマラヤ・トレィルに遊ぶ] カテゴリの最新記事
|