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台風日記

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Yeti

2009/02/19
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カテゴリ:Yeti
チベット密教の祖『パドマサンバヴァの生涯』(*1)を久しぶりに再読することにした。この夏にムグの三つの未踏峰へ、そこから以前トルボから来た逆路を歩く。新自動車道をジュムラへ、ここからララ湖、ムグ・カルナリコーラ~ゴラ・ラ~ヤラ・ラ~~ビジョール~シェー~ポクスムド~ド・タラップ~バルブンコーラ~タラン~ム~トゥジェ・ラ~ジョムソムへ出る路。これを帰路とする計画。
それには古いゴンパを詣と人々との出会いがある。そこでパドマサンバヴァを更に知らねばなるまいテ。で、再読することにした。

イエティ捜索隊はゆく最終回

10月17日(金)

村口と古山.jpg 勝利品公開:ムラ口と古△の発電器をペチッタんでぇ~。

ホテルの屋上からはマチャプチャレが見え、屋上ビヤガーデンがあるし、フシミさんも元気だったし。ポカラのホテル.jpg

Am4:30に起きて、ルームのそこいら中に散らかっているガラクタをザックにしまい込んだ。
みんなもゴソゴソ片付けをやってる。コーヒーを飲んで早い朝食を採ってAm6:00からドラゴンホテルのロビーで待つも、やっとサーダーが来たのは7時半であった。『待たせやがって・・・』と一段と機嫌悪化するも、まあアホなサーダーを怒(イカ)ってもしゃ~ないと平静を装う。さすがイエティタイチョーは全幅の信頼をしていて『ごくろーさん』と言ってた気がする。フクタイチョーもワタシ同様、ヘイセイぶって『フシミ奥さん』と盛んに話をしていた。フシミおくさんは日ネ関西ロビーでよく会っていて、楽しい方だ。
故Kトゥーの残念な事故死のことやアンタの後輩『ネDeepのアホ』の話で笑った。関西人は人のワルグチで笑いをとるのだ、とアホの数人の隊員に懇切丁寧に説明したりして時間を費やス。迎えにやってきた2台のバスに満載の隊荷、全員が乗り込み、すぐに熟睡態勢に入った。

マレクーのバイクンタプリ・レストラン
マレクーサービスエリア.jpg

いつものムグリンのレストラン街では食事ストップはなく『あのアホ・サーダー』のおけげで二度目の朝食、ダルバートを食べれなかったM上、K幡両名もさすがこの時はサイコーにご機嫌斜めとなって『ボケ!アホ!カス!お前のトーチャンでべそ』と罵り、サーダーを呪った。

昼食のレストランにて.jpg レストランでは正しくマナーを尊ぶのだドォ~。
要するに手でつかみ食いするヤツとかスプーンで食する正統派西洋人スタイルの両者が対決。

Am11時、ポカラへ観光バスが何十台もパーキングしているマレクーのバイクンタプリ・レストランは超満員で、庭のテーブルをかろうじて確保。おかげでタルガリダルバート昼定食を食いつけたです。ここからカトマンズまで67Kmの標識、峠への満載トラックの排気ガスと低速走行にイライラしつつPm1:00にはカトマンズ・タメールのウッセ・ホテルに到着する。ワタシは荷とともにコスモトレックに2時に帰りました。お世話になったカトマンズの人々との懇親会を串藤レストランで、ワタシはタイシカンの知り合いと呑み会。

カトマンズへの峠.jpg
カトマンズ最後の峠へのトラックとバスとのデッドヒートで完全勝利ス。

KTMに着きました.jpg で、リングロードの手前であわや再び事故か?


(*1)
W.Y.Evans-Wentz,ed., The Tibetan book of the Great Liberation,London,1954.
から“An Epitome of the life and Teachings of Tibet’s Great Guru Padmasambhava”を W.Y.エヴァンス・ヴェンツ(編)『パドマサンバヴァの生涯』加藤千晶+鈴木智子(訳)春秋社2000。

『ところでチミはまだ手で喰ってるの?』『ボクこのように、箸をフォークのように使っているノ』
                       『そのビールちょうだい!』『ああ、それボクのですけど』箸をフォークに のコピー.jpg  

『ほな、ぼちぼちカチューシャいきまヒョか』と大阪弁でヘンなリクエストがトンだ。
『いゃ~今日は調子良くないンダけど、それでは1曲やるか』となり・・・、
恐怖の三曲連続ロシアン民謡!知らんソォ!終局はなくなる。だからシロートは困る。

miyahara HAPPY のコピー.jpg カチューシャ.jpg ← 陶酔すると止まらない。

若いときはいいもんだ!何年前の写真かな?それにしてもみんな若スギ写真もいいモンネ
昔の写真.jpg ←娘さんを清水寺の案内するワタシ
シャチョーとギャヌーさん

無事これで『イエティ捜索隊はゆく』は『ゆくがかえるになりました』
永い間ありがとうございました。また行くらしいデス?楽しかったデス。

こてつへ急ぐ、ゴルフタルのバンブー林をタクシー中からこてつをリザーブ.jpg

明日から、ムスタン『氷の回廊をゆく』へとつづきます。
よろしくお願いします。

The End.jpg

ありがとうネ!コーナボン峰とミャグディマータ峰よ。また会いたいヨォ~!






Last updated  2009/02/19 02:57:30 AM
2009/02/18
カテゴリ:Yeti
いろはにほへと・・ん! ABCDEFG・・Z?これってパスワード?名前? 
メンサーブは朝から『きんぴらごぼう』を作った。『鴨なべ』の昼食、夕食の『ハンバーグ』+(チーズ入り)と得意の(野沢菜入り)の2種類をワイドプレートで8ヶ一気焼きを敢行ス。これがまた美味であったデス。メンサーブのお誕生ケーキにローソクは多数要りようなので、若干に省略してあった。Happy Birthday to you ♪を唄うと家族の輪ができていました。
R+ABC.jpg R;ABC姉妹+Kchan&メンサーブ

イエティ捜索隊はゆく

10月16日

パッキング.jpg 

寝るM上.jpg
笑ってるでもなく、話しかけてるでなく、ただ寝てるダケ

THT Pokhara Office にあった選挙用のポスターでした。
ネパール人タカシ・ミヤハラ.jpg 
   President of THT Co.,LTD./ He is Nepalese.  

朝食後屋上ビヤガーデンをオープンさせて、ご機嫌のフクタイチョー、パイサ数えて不機嫌に。
ホテル屋上.jpg


ポカラで休養と装備類は空港前のネパール航空ポカラ支店内にあるTHTポカラ事務所の裏庭でシェルパたちがメインでチェツクとテント・ウォッシングを行った。相変わらずM上はホテルでジットしておれず、装備類のチェツクと片付けをしていた。ワタシも少し手伝うことになった。Or笠はシェルパたち一人ひとり今回の捜索隊感想コメントを撮影していた。

THTスタッフ.jpg メンバー総揃う.jpg
左がスタッフ一同でございます。メムバーたちはかぜ薬を飲んだダケ、決してワイン呑んでまセン。
それにしてもスタッフもメムバーも笑ってる。寝てない熟睡してますカラ! ワイングラスビールカクテル日本酒 少しだけ!

本来なら今夜のナイトバスでKTMへスタッフ一同は帰る予定だったが、リンジンがナイトは『イヤだ!』と言ったらしい、もう一台チャーターミニバスをフクタイチョーは予約して、われわれと一緒に帰ることになった。

台所.jpg ホテルのデコレーション

十一面大悲観世音.jpg  ネパール釈迦牟尼仏立像.jpg
     十一面大悲観世音                ネパール釈迦牟尼仏立像  
       
Or笠とM上とワタシの三人はビワ湖畔のピザハウスへ、シャンペンとワインを呑んでごキゲンになってホテルにもどる。再び中華料理の蘭花飯店に出かけ800Rs+900Rsx2setのコース料理とビールと持ち込みウィスキーで乾杯をつづける。遅くまでM上ルームで反省会で盛り上がった。
ポカラ山岳博物館フシミさんの奥さん手製の漬物がとどく。

フシミさん.jpg お別れの花を頂きました。ワタシにも。再会日ネ関西






Last updated  2009/02/18 02:58:25 AM
2009/02/17
カテゴリ:Yeti
お正月はムスタンだったのでRちゃん、Yらちゃん、ABCちゃんらと子供たちとは会えなかったの。で、メンサーブのお誕生会とかで、みんな元気な顔を見せてくれました。とても“HAPPY!”でした。『わぁ~い!わぁ~い!』と騒がしく、元気に走り回る、笑顔と会話、小さな子供たちの動きを見ているとカンドーとわが人生を見つめ直すこともできた。
これがメッチャうれしくて、いいときを過ごさせてもらった。ありがとう
そして小さな仲間たちへ、あなたたちが来てくれて『こころからおれいを・・』
ABCちゃんもこんなに大きく
Ri chan.jpg Yra.jpg 『 LIMI こんちわ』とRちゃんとYらちゃん

イエティ捜索隊はゆく

10月15日(水)

ローテーション.jpg

Am5:00まだ外は真っ暗なのにマイタ(小麦粉)だけで焼いたパンケーキ(こりゃ~ダンゴやね)を食べる。チャーターミニバスには隊荷を天井にうず高く積んでいた。食後にフクタイチョーらは下手なローテーション(15ボール)のルールとやり方を教える。(9ボール)の方がたのしいはずなのだが、そこまで教える時間がない。

ローテする.jpg
おどろくほどの俊敏活動ができるフクタイチョー、この真剣なまなざしがほしかったどこで?

車に乗って.jpg
ナビゲーターをイエティタイチョーがやって、バスは猛スピードで走る。

バス転落.jpg 
               ヤッぱぁ~バスは墜ちてました!

川を横切り.jpg 走り

ミャグディコーラ.jpg  枝豆.jpg
    ミャグディコーラの流量も少なくて・・・      屋根には枝豆が干されてテ・・。
麦畑と裸電線.jpg 裸の電線が張られてテ・・・

 結局Am7:00ジャストに発車した。ラジオが報じたミニバス転落現場へは30分ほどで着いた。我々のドライバーは変にこの辺りに来るとカッコをつけてスピードを上げる。三日間かかった往路の徒歩は、わずか2時間でカリガンダキの大きな街、ベニに着いた。
ここのバナナとマルパ(マルファー)のリンゴを食して、車はそのままポカラをめざしましたデス。
アンナプルナの展望台のカレーのレストランで昼食のチョーメン(ヤキソバ)、いっきに下り坂をスピードを上げて旧ポカラのバザールへと着いたのであります。が・・・。

ドライバーはポカラを知らないもんで、空港への道路への右折でUNの車によって追突事故となった。ドライバーはUNのネパール人運転手に何も文句や交渉もできず、数時間の交通警察の尋問に付きまとわされる羽目となり、空港横前のドラゴンホテルに入る。夕食は一時間も歩いて、ベワ・タル湖畔のネパールダンスを見ながらの野外で呑み、食いするローズマリー・レストランに出かけた。
ホテルへの帰り道、全員揃って意地汚く、露天『焼き鳥や』でロキシーでふたたび乾杯!
着替えがないけど、生ぬるいタトパニ(お湯)でひさじぶりのシャワーを浴びた。

ポカラ到着.jpg
                                 アクシデントに遭いましたデス!






Last updated  2009/02/17 09:12:05 AM
2009/02/16
カテゴリ:Yeti
水源涵養(かんよう)林
つまり森林を保護して水を蓄え、草木や木の葉から土壌を育成する。このことから丹沢山はすごいことになってる。神奈川県や清川村など行政がきれいな水を、合言葉に環境保全を。つまりブナを水源林とし多様な生物の生息環境を作る。だが増え続ける鹿の被害から守る柵建設や落ち葉を貯めて腐葉土をこしらえてから植林する。そのための柵、ハイカーなどに壊される山道、トレイルを守るために作られた歩行階段などなど。
山を守る対策は始まっていた。

← 天王寺尾根から頂上への路で・・・。

落ち葉.jpg
               腐葉土をこさえるために落ち葉を集める金網、それから
               植林をするという気の遠い計画だけど

               かん養林.jpg


イエティ捜索隊はゆく


10月14日(後半)
                                もう一杯ほしインだけど・・・!
シバンの昼飯.jpg
 いただきヤぁ~ンス。

水牛ウォーク.jpg 巨大なウンチ.jpg 水牛のは巨大

シバン村のレストランで卵入りワイワイラーメンとビールはことのほか美味で一気に食し、隣りでおじさん経営の『よろずや』はこの付近では大きなコンビニ風でキャンディや銅の水差しを買った。
昼からもTミがワタシをエスコートしてぴったり後続する。水牛の放牧が盛んなこの地では路を我がもの顔で歩くので、そのあとにつづいた。タカムの大きな畑の路は天気が良くて1600m台のトレックは快適そのもの、広い尾根上の数軒の農家からダラパニ村に入る。ヨーロピアンのダウラギリ周回トレッキングの人たちが学校にテントを張っていた。

ダラパニの畑.jpg

尾根上の畑.jpg

ここからは西行して、カペコーラへのトレックとか、ドルパタンのハンティングリゾートへ狩に出かけるアメリカ人やヨーロピァン、そこから北へジャン・ラ(4523m)を越えてバルブン・コーラのタラコットへ抜けて、アンダートルボへ出てポクスムド湖やドゥー・タラップへの路などある。

ダラパニの水牛池.jpg ダラパニの水牛用池

気持ちのいい松林で会ったリンブー族のダサイン祭りには真っ赤な服を着る
ダサインの女性.jpg

村を抜けて下ダラパニ(水場と水牛のための池ある)で大休止、尾根上の松林の路を下るとフクタイチョーが汗かきつつ先行していたのに追いつく。下から真っ赤なきれいな洋服を着てダサインのお祭りから帰る女性たちにたくさん出会った。ヒンドゥのデイビーを祀る寺院を通り急な下降をしたら、先行のイエティ・タイチョーらがダン・コーラに架る吊橋を右岸に渡ったところで待っていてくれた。

橋で待つ.jpg ダンコーラに架る吊り橋で

ダルバン吊橋.jpgはらぺこ.jpg 
真っ暗な橋を渡るとダルバン村、早速ホテルで夕食を食べました。
デモ!ちょっと品(ヒン)がない食べ方するヤツ出現となりました。


ダン川横の路を約6キロ歩きタパチャールのバッティで目の前に終点ダルバン村着、祝いのビールを空ける。この地域最大の村ダルバンの吊橋を渡り、ホテルへ急いだ。蚤、しらみが怖くてベットへ寝れず、今宵はフクタイチョーはローテーション用の玉突き台の上で、イエティタイチョー以外のメムバーは台横のコンクリートにギンマットを敷いて寝た。

玉突き台.jpg

玉突き台はベッドではありません。という注意書きがありませんでしたので。
そこで、空中にブラつく長い脚を見せつけフクタイチョーは威厳をみせました。
その横の床に寝ることになった隊員は『飛び降りご注意ください』とゴマを磨るデス。









Last updated  2009/02/16 01:14:39 PM
2009/02/15
カテゴリ:Yeti
2008年の経験したポーターフィ、春のマルシャンディ川ではハリジェ村のカッチャル(ドンキー)を雇用、一日700Rs(7頭/1ドライバー)、夏のポーター・フィはトリスリ、ポカラ・ポーターで平地(500Rs)、雨季+高所プラスで700Rs,秋の帰りはBC~ダルバンまで当初(10days x 950Rs)、交渉(8days x 900Rs)となったが、ミャグディコーラ~フレンチパス~タパ・パス~マルパ(マルファ)は700Rsx日数は決まっている。冬のムスタンからマルシャンディへはジョムソムで雇用したベニ・ポーターは500Rsで妥結した。地域は若干異なる。が、しかしシーズン、目的地域、日程、ルート、トレッカーの数など需要増で日当は異なる。多人数のときはサーダーを交え、ナイケ(ポーター手配師、つまりポーター頭)と雇用時にきっちり日当を決めておかねばならない。クーンブでもルクラからメラピーク方面の秋の日当は1200Rs~1400Rsを要求されたパーティがあった。

キモト.jpg  丹沢湖.jpg  
    同行者のキモト                      宮ヶ瀬ダム

丹沢山.jpgみやま山荘のイシイ

いっぱいおいしい料理、大量のビール、日本酒ゴチになりありがとう!
一日で1200mも登ったので、下りたので、いまだに両足は筋肉痛ムカッでありまス。

イエティ捜索隊はゆく

ムリからのコーナボンとミャグディマータ.jpg
ムリ村のキャンプからのコーナボン峰 6570m とミャグディマータ峰 6273m のパノラマ

ムリ村のキャンプ.jpg  ムリ村の奥はずれにキャンプ場

10月14日(火)

まだ暗い内に目を覚ました。昨夜は久しぶりに低所に下りたのでビールを少し呑んだ。今回も3000m以上ではお酒は呑まなかった。要するに高所ではいつも禁酒しているのだ。ここで両替に出たサーダーと会う約束だったが来ていない。Tミと朝食のパンケーキを食してひと足先に出発する。このキャンプ場でムリコーラ上流のラルン村、アルチェ村のポーター30名は解雇されていて、隊荷は全てカッチャル(ドンキー)搬送となっていた。

ムリを過ぎてのグルジャとコーナボン.jpg

グルジャを.jpg
コーナボン峰の左にグルジャ峰 7193m の南壁の障壁が右のピーク 6910m から約2キロもある。

ダウラギリ南壁.jpg
南壁の完登はされていない、'86年ポーランド隊によって南西稜の稜線まで登られたのみ、日本人は、この冬の同行者Aタが単独で挑もうとしたが敗退した。

ムリ村を過ぎ去って のコピー.jpg

リンブーの少女.jpg リンブーの少女たち.jpg 

M上は右手の怪我で、こんな変な姿勢でカメラを向けるんです。
左で休むフクタイチョーはメタボでして、こんな変んな座り方になります。

M上写真撮るのコピー.jpg

ポーターの日程はBCから二日目である。もちろんBCまではムリ村から3日間の日程となっているので合計5日分をナイケから受け取ったらしい。ワタシたちの支払う日当は900Rsとなっているが、ナイケとの実日当契約は700Rsとポーターらの聞き取りでなっていた。5人のポーターが運びにくい大ボトルとかを持ち、道中に彼らから聞き出した。今日の行程はダルバンまで約20キロ、昼食を採る予定のシバン村(1750m)までの約10キロの路を急ぐ。

コンミロ1.jpg
この辺りの路筋にはチョータラ(休憩用の石積椅子)には、
ダサインでこんな色彩のペイントがされている。

清流に架かるつり橋を渡るといつものポーズをするワタシ!
バラサーブの影.jpg






Last updated  2009/02/15 12:27:26 PM
2009/02/14
カテゴリ:Yeti
マカルー冬季登頂
11日の朝、JMAの海登研でI田さんがマカルー冬季登頂は一昨日なされたと話を聞いた。これでネパールの8000mはすべて冬季に登られ、残るはパキスタンの山になった。
UKのちょっとネパールヒマラヤのことでメル友の
Lindsay Griffin/Mr.,URL British Mountaineering Council
http://thebmc.co.uk/News.aspx?id=2944 写真はここから
http://simonemoro.blogspot.com/2009/02/summit-phtos.html

彼から、いち早く世界中にこのニュースが発信されていた。
実は10日から上京していて、Oダと馬メらのテンカンポシェ、
Iムラらのベァートゥース北東壁、ハンター・北バットレス・ムーンフラワー、デナリ・南壁スロバクダイレクト、南西壁デナリダイヤモンドからカシンリッジへの継続登攀記録、H谷のワスカランの馬蹄形をした山塊ワンドイ縦走、南峰で敗退の若者たちの登攀記録と写真を楽しんだ。

翌日はその昔、始めてヒマラヤを挑んだのが冬のナンガパルバットだったキモトとKuwansei U.のNjimaと西八王子のM谷さんチ新居へ。深夜まで呑んで騒ぐ。写真は冬季マカルーに成功したシモーヌ・モローとデニス・ウルブコのペアと頂上写真のURL写真コピー。

イエティ捜索隊はゆく

10月13日(月)

バルバンから.jpg バルバン村を出発

Tミと7時半先発でムディ(ムリ)コーラまで一気に300m下る。大きな蜂の巣が木にぶら下がり不気味に熊蜂が飛んでいる。斜めなった気持ち悪い吊橋からふたたび急登してアルチェの村中に入る。

アルチェから.jpg アルチェ村と蕎麦の花 

蕎麦の花.jpg

ポーターたちが食事を採っていた。
マッカイ(とうもろこし)畑から樹林帯を抜けて、平らな石(屋根などに使う)の石切り場からボクたちを待ち受ける飲み物やビスケットの出店を出してるおばさん、コーナボンで会った(昨夜バルバンの泊り場で小屋のおじさんにボコボコに殴られた男)が凸凹の顔で笑顔をみせた。ビスケットを買食ス。

除虫菊とコード.jpg 除虫菊ラテ

ダウラギリ5峰.jpg ダウラギリ5峰7618mを望む
                     
                      峠へ行く先行メムバー
遥か彼方.jpg

どんどん下ってゴパルらが昼食を作る広場で休憩食事。日陰のない広場で強烈に暑い、下の川原の滝で水浴びに下る。吊橋からスラブの下の大トラバース路から、往路と違う急登をしてムリ村が正面に見える峠、ここでカンカラ(瓜)をおばさんらから貰った。長い急な坂道から畑の中の路、遠くにムリ村手前のキャンプ場を望見するも、なかなか到達できなかった。

コード.jpg

コードの実が垂れる。これで東ネパールではトンパ(お酒)を作る。














Last updated  2009/02/14 12:55:20 PM
2009/02/10
カテゴリ:Yeti
『今日もお好み焼きを喰いたい』と昼食は『昨日のチボ』で、同じものを喰った。『やきそばも旨そうジャン』と彼は小声で言ったので頂きましたです。それから映画を観に行ったのです。映画は『ひめゆりの塔』ゴクミンが主演女優で、アッちゃんとふたりして、涙して観たのはいつのことか忘れたデス。

『007・慰めの報酬』という激走と衝突の擬音、銃の音、爆発音に格闘と殴り合いの大音響に圧倒されて終了時頭痛を感じしばし放心状態。
何であんなに大音響を狭い映画館で出すのですカネ!もうこれって観客いじめそのものなのラ。映画館も狭くなったし、映画館もいっぱい同じフロァーにあって、チケット売り場もいろんなジャンルの映画を売ってるし・・・、『ウム!どうなっとるんじゃ?』

夜は前夜と同じメムバーが揃い、焼酎で乾杯、アッちゃん前夜にひきつづきのラーメンをみんなで食しました。
あいつほど『無食文化』というヤツも少ない。我々とて同類じゃんか!

イエティ捜索隊は終局に・・。

BCも片付きました.jpg 丸くて黒い所はメンバーテント跡

10月12日(日)
グルジャとコーナボン.jpg

グルジャの南面障壁.jpg (左)グルジャ峰7193m


早朝の4時半に起床、コーヒーをひとりテントで飲んで、すぐパッキングを開始したが6時が廻っても一向に未梱包まま、ネパールうどんとプーリー(揚げパン)の朝食をキッチンで喰って、パツキングはシェルパに最終的にはやってもらって、下山開始した。昨日みんながラッセルしてくれたおかげで快晴の中をどんどん下る。新雪はクラストしているがその方が下るのにはいい。登りの雨ン中の景色と全く違う景色、背後のグストン・サウス6465m 未踏峰(ノースは6515m 既登頂))グルジャヒマール7193mまでの南壁が障壁のように立ちはだかる。一段とコーナボンピークからミャグディマータの稜線が美しい。

下山するフクタイチョー.jpg

先行するフクタイチョーに追いつきまして、クライミングダウンの教えを乞いつつ下りました。
左のお腹はダイエット成功例のワタシ、右は失敗例のフクタイチョーのおなかデス。


アサレカルカまで来ると雪もなくなり、冬衣装から一気にTシャツ姿に変わる暑さになった。
とりあへず、ここで冬服を脱ぎ、捨て、メタボ検査をしました。そこから草付、竹やぶを過ぎ、どんどん下ってくるとジャンガル地帯、ピッタリとTミが背後についてくれて、ザックはペンバが持ってくれて諤々になりつつバルバンカルカまで下りつづける。

ダイジョウーブかなあ.jpg
下ってくるのは誰?さぁ誰でしょうね?  あの体型から見ると・・・。

お疲れですか.jpg
『お前ら疲れタン?』『いえいえ!』
『ワシはぜんぜん疲れてへん』
『どや!このゲンキな姿!』  
群馬弁を解りやすい大阪弁に変換しました。

すすき.jpg ススキの穂が晩秋の色になってました。

アメリカセイタカアワダチソウ.jpg 
こんな山ン中に、雑草アメリカセイタカアワダチソウが
そこいら中に咲き乱れ、生態系もどんどん変わってゆきます。

やれへん.jpg お腹減ったなあ!の声
これオレの昼ごはんぜったいヤレヘン!

カルカ手前の急下降の草付上へゴパルとギャルツェンが持ってきてくれたミルクティを飲んだときは生きかえった。カルカの大テントに着いたのが8時15分、まさに失神状態でありました。ズガが二匹右脚をきっちり噛みついたです。深夜は左二の腕に噛み付いたツツガ虫を引きちぎっる騒動、両隣りのイエティタイチョーとフクタイチョーの大イビキ病の方がもっと騒々しく怖かったです。

下界.jpg
遥か彼方に今夜の泊り場があります。
山を越え、谷を渡り全く見えません。

これから上京しましので、3~4日BLOGはお休みします。






Last updated  2009/02/10 11:36:13 AM
2009/02/09
カテゴリ:Yeti
アッちゃん、村の役員会が伊勢であるというので電車賃節約で『おれも連れてけ』と友達に言って昨日来阪した。『せこ~ォ!』
Tヤン夫妻、タケ、ヒロタン、メンサーブらが集まって歓迎会を
『チボ』でやった。『これもっとせこ~ィ』

あいつはお好み焼きダイスキ人間であるからして、いつも『大阪へ来たらお好み焼きでんがな』と言うてるんですわ。わたしら大阪人はだいたいお好み焼きと言えば『ブタタマ』と決まってるですけど、最近はこんなのメニューはこの店から消えたンダ。
地元大阪人が昼間にどーとん堀の食堂街へ来ることは少ない。周りは韓国語、北京語、広東語、台湾方言がソコイラ聞こえてくる。円高が彼らの訪日観光を阻害しているらしいけど、お店側も『観光客相手の高価格メニュー、魚介類の入った豪華絢爛セットメニューと価格設定も昨年のまま高いノダ。ケインズ経済学勉強してヘン。アンタら考えヤナあきまへん。100円バーガーの時代に。


イエティ捜索隊

回収に行きます.jpg ただ今から回収に参りまぁ~す。

10月11日

6時半のモーニングティを済ませてM上、K幡の二人はマルバスから東南稜上に設けた自動カメラ回収に出た。パンケーキのみんなは9時過ぎにやっと陽が射したので個人装備の乾燥、ダイニング内の装備、パソコン、通信機器、カメラなどプラスティクボトルにパッキング、発電機や椅子などはプラパールで梱包。

さむそうですね.jpg 曇り空のBC.jpg
雲のち晴れ、ときどき曇り

笑って2.jpg 笑ってるんですけど.jpg
『・・ン?』『シェルパ揃って何にやってる?』『俺の悪口ムカッ』とフクタイチョーは気にして見に行った。
『チャウかったわ』『ムフフフフ・・・』『悪口チャウかった』『昼めしなにする?の話やった』(笑)大笑い

ソーラーシステム.jpg 詳細に書いたので解り易い、M上ではこうはイカン

怒ってる 『○□みぃ~!会議中は食べ物に手を出すな!と誰かが言ったが、氏名公表は差し控える。ミーチング.jpg


昼の若干硬かったインデカ米のスチームライスを残ったトマトピューレでヤキメシ風にして、タクワン、紅生姜で食べる。全員で完食。未梱包装備を終えてダイニングでダベった。Or笠はワタシにソーラーシステムの配線を画いてくれ。イエティタイチョーは『ソーラー機材全部あげる』と言った。『ふぇ~

ポーター続々.jpg

ポーターUP.jpg

Pm2:00続々とポーター到着。ムリ村(バーラ)の男12名、その上流のルラン村19名(内女子4人)、アルチェ村3人にムリのナイケ(ポーター頭)。雪道を裸足の男も二人いた。キッチン上のカルカにブルーシートを広げて被り、夕食の準備。

カルカで食事.jpg 村のみんなの食事をこさえる。

寝床 のコピー.jpg

キッチンテントには残りの連中がワンサカ入り込み超満員。寝床のダイニングテントを明け渡すために、早々にカレーの夕食を済ませて各自テントに入る。月光が輝くベースキャンプの最後の夜はダサイン(*1)の中を急いで上がって来て疲れたポーターたちの声もすぐに聞こえなくなった。

(*1)ヒンズー教最大の祭り「ダサイン(Dashain)」(「ドゥルガ・プジャ(Durga Puja)」とも呼ばれる)
今年のダサイン祭りは9月30日から満月の14日までの15日間でした。毎年日程は異なる。






Last updated  2009/02/09 10:18:00 AM
2009/02/08
カテゴリ:Yeti
『冷えとり』とか『靴下重ね履き』という健康法があって、ワタシの先生は安曇野に住む岳友の奥さん。ラリグラスおばさんは14枚履いていて(弟子の高知佐賀生まれのおばさんは12枚、一昨日からロールワリンへ行ってるダンナでも6枚履いてるらしい)、ラリおばさんは昔むかし、そのむかし、ひどい病気になったけどこの靴下重ね履きで直ったのズラ。と、もう10年ぐらい前に聞いて、その通りワタシもやってる。実は3枚しか履いてないと数年前に言ったので、昨日『6枚履きや』お米、お酒と混載でおくられてきた。毎年、ヒマラヤ登山のキャラバンでも、日常でもめずらしく守ってるノダ。去年のツラギ、イエティ、ムスタンと3度のヒマラヤで実証スミ。そして1ヶ月ぐらいは履いたままで・・・。でも、足は匂わないから不思議・・・、ベロリと足の裏、かかと、くるぶしの垢(あか)がメクれ(剥がれる)快感は『怖い!』ものあります。
山では入浴なんて何ヶ月もしないもんなぁ。
エエかドウか?信じようが信じまいが・・・、勝手、勝手

←またラン咲きました(後の写真は '59 JAC Himal Chuli)

曇りのち晴れ.jpg
                         今朝もマルバスに陽は忘れずに出ました


イエティ捜索隊はゆく

10月10日 BC撤収作業三日目

あまりにも『さぁむ~い!』のどうも昨夜ウィスキーを微量頂いたのですが、そのせいか胃が痛くてAm3時に起きる。3種類の胃薬を重ね飲み。これは重ねない方がいいらしいが・・、とても痛くてつい飲んでしまった。いつの間にか寝てしまい『モーニングティですよ』キッチンボーィのご挨拶時は熟睡中であった。前夜の霰(あられ)の上に15センチは積もったろう。

除雪2.jpg
                                 ↑
                                  ↓ M上は忘れず除雪やってた。
今朝も除雪の.jpg

BCしたのカルカも天気.jpg カルカへの怪しげな足跡
モデルさん.jpg モデルさんのご登場!拍手でお出迎えを

朝食のパンケーキ時には胃痛も治まっていて、みんなには深夜の話は隠した。
9時過ぎになって陽があたり、福島県、群馬県のおじさん下着モデルたちに代わるべく、コマーシャル用『陽だまり下着』の撮影大会を野外で行う。モデルはフクタイチョー、Tミ、M上、K幡らでカメラマンはプロのOr笠。まあモデルはシロウトなので、現在通販の新聞広告に使用されているモデルには若干見劣りするけど(?)、まあ正直ところそんなに違わないテイドの者たちでございます。ハィ!

群馬のモデル.jpg こんなのモデルっていうの? トーキョーのモデル.jpg 旧ミゾさんバイル

昼は2種類のスパゲティをこさえる。アンチョビ・スパとミートソース・スパであるが、先ずカシ肉をペンパに刻ませ、タマネギ、ニンジン、ニンニク、トマトピューレ缶、ケチャップ、ウスターソース味でソースを作った。オリーブオイルでスパゲティを炒めて、おろしチーズをふりかけて出来上がり!
『うまい!』と全員がうなった。

スパ・ペーティ.jpg

真っ青な空に向かって
ラッセル1.jpg トレイルはできた.jpg

土方仕事は得意なヤツらにまかせるに限る、最後尾の青い服のヤツはいつもサボってる証拠写真。

トレイルを作るのだ.jpg

陽が出ている内の明日上がってくるポーターたちの安全を守るトレイルのラッセルにみんで出かけることにした。アサレカルカの上部まで、一箇所フィツクスロープも張ってのラッセルを敢行する。
ひと足先にBCに戻り、今夜の特別メニューの巻き寿司をこさえることにした。だし卵、高野豆腐、寒露椎茸、寒露じゃこ、瓶詰鮭、のりつくだに、乾ぴょう、それに荷上したグリーン野菜、最重要巻き海苔、酢飯は『すしのこ』で。約2時間半かかって12本こさえる。1本はカルフォルニァ巻きにした。

お寿司.jpg

ダイニングにフクタイチョー、M上、K幡が泊まり電灯は遅くまで消えなかった。
夕方から降った新雪は9時ごろに止み、月光にかわる。

月光の月.jpg







Last updated  2009/02/08 12:52:44 PM
2009/02/07
カテゴリ:Yeti
昨日も朝の7時半から、夕方の5時半までネパール(5万分の1)地図(*1)、カリガンダキ東、ローモンタン、ダモダールクンダ、ムクチナート、ダモダールヒマール、プーガオンドミオン、チャーメ(マナン)、バガルチャツプ、サマガオンの8枚を貼り付けた地図の上に座り込んで、50センチと1メートルの鉄製カッティング定規2種、360度分度器を使って、これまでに西ネパールの未踏峰同定をしたンだけど今、この冬に出かけたムスタン・ダモダールをシテル。このあたりへは四度目なのでこの山々の同定は、その都度行った仲間や山登りを想い出し、楽しいものにナッテいる。
ボクの場合、先ずGPSで山のスケッチをしている場所の経緯度を出してから、コンパスグラス(方位磁石)で目標のパノラマの山々の方位の度数を出して、スケッチ上の山に数字を記入する。その後持参の地図に経緯度をチェツクして、分度器を当てて正確に定規でラインを鉛筆で引く。帰国後今日のようにラインを清書するのだ。これがいつもどきどきする、この瞬間がヒマラヤの醍醐味かも・・・。

イエティ捜索隊はゆく

10月9日(木)

くもり.jpg マルバス山に薄日が

BCキャンプサイト.jpg

ダイニング周辺の雪.jpg 今朝はえらいみんな早いナァ?

撤収1日目の朝は霙(みぞれ)混じりの降雪4~5センチ、さむ~い朝であった。全員寒いだからかモーニングティは7時に、というのに6:30にはダイニングに集合していた。全員でカロ茶を頂く。テントに戻り何気なくダイニングを見たら、タトパニ(お湯)を雪の中でOr笠は被っていた。『さむ~ぅ!そう』。
『ごはんですよ!』チャパティ2枚の朝食、M上が学生時代にコーヒー店でバイトしてたので、『今朝はわたしがコーヒーを点てます』と神妙な顔でいった。

雪の朝でした.jpg

修正ない朝.jpg

フクタイチョーも拝む.jpg フクタイチョーは朝陽にごキネンする。

M上は自然にカラダが動き除雪作業ス    フクタイチョーの垢ダラケの足跡デス(きたないョ)除雪作業.jpg  汚い足跡.jpg

テントなどを乾燥.jpg 撤収作業

外は温かい陽が差して、装備やシユラフを干す。個人装備も干したり片付けをしたり、何かと撤収というのは忙しい。昼の『にゅー麺』に大阪風の『けつねうろん』を作る。どんぶり2杯、3杯分を喰った欠食児童たち・・・。昼からダイニングで『話込んだ』がコタツの中に入れた充填EPIガスが天板の代わりに置いた板が焦げたのであった。もちろん布団代わりにした銀マットも同様。

ウイスキーと肴は.jpg⇒⇒⇒⇒ 1本目です
味噌味羊肉包みとお好み焼き風の紅生姜にとんかつソースをかけるM上

BC下のカルカは平らな石積みハウスです。その周りにはたくさんの動物の足跡がありました。
雪のカルカの風景.jpg 動物足跡.jpg

3時に残りの湯がいたソーメンを再び食し、ウイスキー1本目は終了、2本目に移行するもただちに終了。ワタシは一滴も禁酒中なので頂かなかったデス。
夕食はタルカリ・ダルバートを久しぶりにお肉一杯付きで頂き、『カシのド頭のノーミソ+ガンメン肉』入りスープを飲む。いつまでもダイニングは陽気な話、ケタタマしくみんなは声を荒げる。たのしいひとときであった。霰(あられ)が激しく降り、撤収二日目の夜は更けた。

ビーフ.jpg ソーラーシステム.jpg

脚注 (*1)
この地図(地形図)はネパール・トポグラフィカル・サーヴェイ(ネパール政府国土改善管理省測量局)(Department Survey)が1992年東部、1996年西部の空中写真がフインランドの協力によって出来上がり、これらを元にしてネパール全土の地図が作られ、1997年4月までに東部山岳地帯37枚(カンチェンジュンガ南北3枚)、2002年になって西部(ティンカール・バンジャンを除く)
が発行された。現在はティンカールをのぞく全ての山岳部(1:50000)が発売。
ネパール南部の1:25000(インド国境の数枚をのぞく)、ルンビニ周辺はJICAの協力で発行された。

MAPdesu.jpg

ムスタン・ダモダールヒマール(Teli Bhanjyang)からナ村への1:50000ネパール地図






Last updated  2009/02/07 03:07:10 PM

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