ムスタン・ヒマール
明朝のTG機でカトマンズへ向かいます。で、またしばらくお休みになります。カトマンズで今週はちょっとやることがありまして、来週になってバンブー・マウンテンのダンナA田浩と合流してムスタンの東へ。(ムクチナート手前のゾン村からギャ・ラ(4077m)を越えて、山添いを2003年のトルボのときに順応で歩いた路から、サリブンの帰路タンゲ村への路に出て、バハ・ラ(4490m)から東へ、チャワ・コーラの氷の回廊(氷結の川床)を歩き源頭の峠、テリ・ラ(5595m)ムスタン・ラ*(注)を越えてラブセ・コーラからナ村へ出て、ナ・コーラを下ってマルシャンディ左岸のコト村へ出て、ダラパニ、タルを経てジャガットからチャーターミニバスでカトマンズに戻るコース)の厳冬のムスタン東のダモダールの山々を通り、アンナ北麓への横断の山旅と6000mの山に登るつもりです。帰国は1月中旬です。 Mustang/Khumjungkar 6759m かにサボテンが咲きました。 *(注)1950年アンナプルナ2峰(7937)をめざしたH.W.テイルマン はマナン側からあの有名なJ.M.O.ロバーツ、Dr.C.H.エバンス、J.H. エムリン・ジョーンズ、W.P.パッカードなどの隊員と7300mで終る。 帰路にこの峠を越えてタンゲからムクチナートへと出た。イエティ捜索隊はゆく9月13日(土)昨夜の午後11時半、雷光と同時に『ドカン!』と落雷音で仰天して二人とも飛び起きる。少々の騒音や雑音には微動たりともしない二人だが、この夜のハプニングには完敗で『起されました』テントでなくてヨガッタ!そんなこんなで起き出してお茶を沸かした。イエティ・タイチョーのスリーピングバッグを下に敷き、Tミのダウンジャケットを枕にして快適にそれ以降熟睡となる。朝日がダウラギリ主峰の東、Manapathi 6380mとJirbang 6062mの背後から出た。Dhawalagiri 8167m, Manapathi and JirbangMyagdi Matha,Dhawalagiri 4,Dhawalagiri 5, Tsaurabong 6363,6395m and Dhawalagiri main peakWest Face of Tsaurabong Twin peaksPlateau of Dhawalagiri main PeakWay to Dhorpatang rangesあまりの快晴に朝食もそこそこに、ついパノラマを撮りまくりました。そりゃ!手の届くところにあるからコーフンするわな!でも、好天も9時にはガスが上がってきてたちまちガスの中に我々は取り残された。コーナボンキャンプとの交信も快調だし、彼らがインゼル頭への下部ジャングルで『騒ぎ行動』を開始した。まあ、『人間が近づいておりまっせ!』危機感のプレッシャーを与えるためらしい。昼前好天になるか?ガスが切れたが、みぞれ雑じりの雨が降り出し、昼には本格的なみぞれとなった。まんじりもせず『蜂の子』『いなご』のいなか人のカルシュム摂取といかに美味であるかのフク・タイチョーの講義を聴く。そんなのうまいかなあ?とクエッションマークはつくのであります。そいでもって、夕方の4時に5リッターのサラダオイルプラボトル詰め替えロキシー43度を抱きかかえた。で、『大五郎焼酎』と名付けての満面の笑み。これって田舎のおっちゃんやんか!と写真を見たメンサーブはめずらしく笑わない顔で、ごく普通に聞いた。 『グンマってどこにある?』夕食は中華風オムレツをこさえる。乾燥八宝菜に塩やきとり缶、たまごでくるんだ。稜線キャンプすぐ下、タレジャコーラ側から雲が上がると確実に降雨!朝陽をピナクルの頭を射した、この下からジャングルへかけてイエティの生息域なのだ。この2009年1月下旬までイエティ捜索隊はゆくはおやすみさせて頂きます。