ダイレクを出て(10日メ出発)ジュムラへ(117日メ)やっと到着です
2012年12月10日(水)G.トゥッチ博士の1954年のセリドゥスカの石寺院調査と東海大の長沢教授の1963年の調査からやっとネパール政府の文化財調査が行われたのは極く最近のことで、石積み寺院の石組みを分解されてナンバーがペンキで刻印されたまま組み立てられた。でも、どうも寺院にしては小さ過ぎるのでは・・・、ダイレクのと同じようにお墓ではないかな?と思ったのは彼らの調査にない山上に大きな石積み寺院があったから・・・。どうして彼らの本に大きな寺院の写真がないのか?調査漏れなのか?疑問が湧くのだが・・・? 石碑は観たの?アンタら・・・。 自動車道路からコリコット村への路を15分程行くと丘上に小さなヒンドゥーの祠がある。覘きに行ったが小さな石碑があるだけで路に下りると集団登校の子どもたちがやって来て『ナマステ』の明るい声のご挨拶!それらしいのが頭上に見える。右のモノクロのトゥッチ博士の『ムスタンと西ネパールの報告書』1956、ローマ.に載る写真、長沢教授の『ネパール探求旅行』角川新書、1964.の口絵写真と寸法図を持参している。『あれ・あれ』 なんでみんな白いペンキで 10・11 なんて書いたのか?不思議というより 『センスのないやっちゃなぁ』 と・ところで背後に見慣れない山が・・・? タトパニへの畑中の近道で『小さく見えた山とちゃうん?』ビジョラ・ヒウン チュリに違いない。東京山旅倶楽部の口絵写真に載ってるギザギザ山じゃん。 左にはチョコンとカンデ・ヒウンチュリが見えトンじゃん お山が『優先優先』『そっちが大事』ズームインしてみる。 ここからのカンデ・ヒウンチュリがかっこええ!桑Hさん! ビジョラ・ヒウンチュリ南西壁の6111, 5997Col, 6247, 6266, 6386m 村の青年が石碑横の路を通って『デレデレ・デライ・ドゥンガ・テンプル・ツァ』 と教えてくれたので、畑を横切り、ウム川で洗濯してるおばさんに『ヨ・ガウンコ・ マテ・ドゥンガ・ゴンパ・ツァ?』『マティ・バート・シダシダ』と流暢なネパール語 で問答を交わす。『フ~ム!さすがバラサーブ』と感心するI 沢! やって来ました!大きなドゥンガ・ゴンパコ========= W田(城)ヒマラヤ・トレック 2013 後半戦顛末キ ========= プラノ・シミコットの手前タッロ村へはフムラ・カルナリ川の緑に囲まれた 川沿いの路からふらふらになって老師、M谷夫妻や大勢の仲間と遡上 して来たときはどしゃ降りだったらしい。ボクらも悪天で一日中雨中です。 フムラカルナリの3000m以上に来るとアプリコットの実 ( Prunus amenniaca ) がモンスーン期には黄色く色づく、 梅とか李(すもも)に近い種類で、ちょっとすっぱい。 おっぱい見えてまんがな!おばさんがやって来て 悪天でフライトは欠航、2011年秋には全天候型?滑走路がでけました。 誰でも写真を撮るダダパヤ手前の丘上から空港を見る。天気悪おま。