シャブルへ走る
ランタンリルン北面の記録は下記のものだけであった。トレッカーもまったく入らないというか入れない。堂々とボーテコシを遡り、国境のラスワガディへ向かっても国境の橋で『お写真は禁止です』とネパール警察に言われるだけ・・・、ましてガティコーラ出合の村からガティコーラの路を遡る計画は難しいのだ。ポリスに『帰れ!帰れ!ここはアカン』と言われるだけ・・・。数年前にオクダにこの計画実行をさせたがダメだった。この冬、ドゥンガ崎はオクダ同様、DBのガイドで出かけたけど追い返された。そんで、今回は周到な計画を実施するにオヨンダのだ。Langtang Lirung Tragedy.The two American climbers,leader Daniel Newell and Elliot Spake and Sherpa Gyalgn were killed by an avalanche on October 18th,1985 at 4900meters when they were trying to descend to their 3775 meter Base Camp.They are believed to have reahed the site of their Advance Base Camp at 5000meters on the 16th and been stuck there with heavy snowfall on the 17th. They were on a buttress leading to the northeast ridge when they were swept to their deaths by the avalamche. The expedition’s only ather climber,Britith David Atkinson,had left the expedition days before it reached Base Camp.(The American Alpine Journal 60,Vol.28,1986) カカニへの坂道をうなるエンジン音 カカニからの段々畑にはいつでもカンドーなのだ リクー・コーラを渡る ようこそトリスルへ しゃボテンが植えられていて 菩提の樹と涼しげなチョータラ 客無視バスはフルスピード! ここまで来るとトリスリの町も近いランタンリルン北壁偵察行2009年4月23日(木)ラテライト(赤土)が広がるトリスリ周辺の陽はカラカラに乾いた畑の中をジープは走る。カカニの丘からの七曲の道は熟睡中で、いつものトリスリ・ダルバート食堂で昼飯、食堂前の野菜店でバンダコビー、アル、ピァッツ、イスクス、カオリ、カガティを買う。後部座席のドゥンガ崎は睡眠不足を一気に解消せんものと寝込んだまま、チェツクポスト、ドンチェそしてシャブルに2:20着、8時間半かかった。ここで米30キロ、石油40リッター、マイタ10キロ、チニ10キロ、粉ミルク5キロ、チャ2パック、ビスケット30pcs、キャンディ200ケ、などを16.025Rsで購入、蚊の多いホテルにて熟睡。 熟睡中のとてもメタボなドゥンガ崎洋さんとゴンパ トリスリ川が流れてまして・・・。 お米と水路の橋でオマ 水路取入口、トリスリ川の左岸の急坂をどんどん登ってダラパニの村へ