ムクチナートに到着、そしてギャ・ラへ
テンジン・ヌルブをNPO法人EWS(EARTH WORKS SOCIETY)代表大谷映芳らが招聘することになった。ネパール・トルボのティンキュー村(トロンゴンパ)のラマであり、エリック・バリー監督の映画『ヒマラヤ(邦題:キャラバン』の原作者でもあります。同時にフランス語で出版された絵本(*1)は映画以上に欧米で高い評価を得ていた。日本では画風が感覚的に若干異なるのか、出版社は興味を示さず日本語の出版が願望だった。札幌、群馬。東京、名古屋、大阪、福岡で2009年11月12日から12月15日まで各地で1週間単位で映画、絵画展、写真展、トルボ・トークショーなど開催予定。ちょっと早い宣伝ですが、いすれボチボチ、日時、会場、費用などはご案内します。乞うご期待。チベット国境に近いトルボのパンザンコーラ上流、ティンキュー村と裏山へ上がるとトロンゴンパが。トロンゴンパの中のタンカはやはりすばらしい。(注)(*1) Tenzing Norbu “HIMALAYA:L’enfance D’un Chef”Milan,2000. (続) Texte de Stephane Frattini,Dessins de Tenzing Norbu Lama “Himalaya Le chemin du Leopard”Milan,2002. Texte de Marie-Claire Gentric, Dessins de Tenzing Noorbu Lama. “La Montagne de Cristal”Milan,jeunesse.2003. Written by Sienna Craig and Ollustrations by Tenzin Norbu “Clear Sky, Red Earth”Kathmandu,2004.ムスタン氷の回廊をゆくホテルの部屋からニルギリ北峰7061m北壁 ニルギリ北峰12月18日(木)A田はボクのイビキで寝れず、深夜にベットから抜け出して、部屋前のダイニングのテーブル下で寝たと笑っていた。この201号室は一番気に入っていて、何度もここで寝ている。窓から空港の様子がよく解るので、都合がいい。ヒマなときは石畳の道路を見ていたらアキない。ニルギリ北峰からティリツォへの稜線とメソカント・ラへの針葉樹のジャンガルがいい。目の前のティニ村と蕎麦畑もいい。ここで最大キャンセル待ちで10日間いたことがある。トルボやムスタンはいつも夏季なので、帰りは殆ど100%キャンセル待ちだった。今回はパルス・オキシメーターと血圧計を持参しているので、毎日計ろう。 今朝は血圧148=88 パルスオキシメーターは94Spo2 ここは標高2720mなのでまだまだ数値に平地と変わらない。朝食後、チョコレートでもと買い物に出かけたがトレッカーが全く見えないので商店は閉まっていた。温かい陽がティニ村、背後の山から当たるようになった11時に出発する。アーミー陣地前の吊橋を渡ったところでジープは待っているのだが、ボクらはオールドジョムソムを通って故名塚秀二のメモリアル・ケルンのある学校横の広場へ歩いて養鱒池で待った。ジープはすぐにやって来てエクリバッティでコスモのムクチナート・トレックの人たちが休んでいた。スタッフ全員顔見知りの連中で飲み物、昼飯を!と盛んに薦めてくれたけど、先を急ぐことにした。ジーブはカグベニ横から急登をエンジン音を高めて、1時10分でムクチナートのチェツクポスト上のレストラン前の駐車場で着いた。ここで昼食のタルカリバート、約2時間待ちぼうけを・・・。 養鱒池の横を村人が薪運び、目の前にカリガンダキの流れが乾季は清流がわずか流れる。オールドジョムソムへの橋を渡らないで学校を過ぎるとダンガルゾンへの路が、左の鞍部のコルへと導かれる。慧海師もこの急登をトルボへと向かったのは1900年6月12日のことであった。 ダウラギリ東北壁が巨立している。2004年秋、群馬の素晴らしいクライマーで、イラストレーターとしても一流の星野龍史、品川幸彦それに福本誠志の三人が北東壁新ルートに向かい登攀中遭難した。このジープでジョムソムからわずか1時間でやって来ました。背後にダウラギリとツクチェピークが聳え最高のロケーションムクチナート到着、目の前にヤカワカン南西壁が迎えてくれた。ヤカワカン6482mの南西岩稜をボーエンで、まだ未踏だ。つ~クン撮影のROUNDONIのつなぎの服を全スタッフは着込んで出発ムクチナートの北側に広がる大地、その真ん中コル(ギャ・ラ:4077m)めがけて歩き出した。