映画キャラバンでポクスムド湖へヤクが墜ちた現場に・・・。
Lama、Firnkopf and Saipal の初めての写真1948年エ-ル大学のS,D,Dillon RidleyらがNG(ナショナル・ジォグラフィカル・ジャーナル)の後援で西ネパールの学術調査に出かけ、初めてタライ平原からサイパル方面の概念図と遠望写真をHJ Vol.XV 1949(ヒマラヤン・ジャーナル)に発表した。キャプションにはただサイパル方面と記されただけだが、ラマ峰6526m、フイルンコプフ西峰6745mから主峰6735mとサイパル7030mが写っていた。もう一枚はアピ7132m、ボバイェ6808m、ジェティ・ボフラニ6850mとロカピ6468mにスムサロワールS.6397mのパノラマだった。概念図にはナンパ22162ft.となっているが、これは第三の高峰、1978年に信大によって登られたジェティ・ボフラニ6850mである。1953年H.ティツヒーが試みたサイパルはガートコーラからだったが敗退、翌年春、オーストリアのルドルフ・ヨスナ(Rudolf Jonas)らが命名したフイルンコプフ(Firnkopf)の西稜の6566mの前衛峰辺りまで登った。 HJ1949,Vol.XV N.G.Society,Washington,D.C.,U.S.A MAP of Firnkopf and SAIPAL. Rudolf Jonas “ Ho,Pasang ”Wien,1954. ( 資料でっせ!) for Mr.GJ,Kawahara and Irisawaムグからトルボへ7月21日(火)ポクスムド湖畔からリンモ村 ヤクの墜ちたところ ↓ この板が・・。 ホント?E.ヴァリーの映画『ヒマラヤ(邦題)キャラバン』のクライマックス、キャラバン隊の長老ティレがランモシェ・ラからバガラを越えて何故かポクスムド湖の西側のこの路にさしかかり、路の補修をしながら、ここでヤクが湖に転落死するシーンはこの個所で撮影された。実存する長老ティレは、撮影するに際し、絵師テンジン・ヌルブと監督のエリックとキャラバンの運び人であったティレがカトマンズで作成会議をした。その詳細はテンジン・ヌルブから面白い話を聞いたけど、ティレはティレで文句があった。まあ儲け話は欲が絡んでくるから・・・。でも一番貧乏くじをひいたのはティレであることはマチガイナイ! 対岸に見える ポン経のリンモ寺院