シミコットからフムラカルナリの左岸、尾根上の路を歩いたGJたち・・。
マスタ像西ネパールの面白さは、マスタ像とかマイルストーン(石碑:カンパ)、ダーラ(導水管)、そして石造寺院がラージャ・マルガ(王の路)の三大遺跡である。これに興味を持ち始めたのはA部和行さんがカトマンズのダーラを撮ってた1971~76年頃だったろう。パタンやタメールの撮った写真を見たとき。Y永定雄がスネグロの翻訳本『ヒマラヤ巡礼』はじめ、彼と一緒にムグへ出かけたときにはマイルストーンや、ダーラや、そしてマスタ像を始めて見たときには、もうボクの知識に入っていた。やはり文献は大事なんだとつくづく思ったものだった。そこで、マスタ像を西ネパールの遺跡にもうひとつプラスして4大遺跡としておきたいと思ったのだ。マスタ像はスネグロ(僕らはスネルグローブを略して)がジャジャルコットへの路ではじめて見た。ここは古い時代の文化遺産というものはまったくない。近年、グルカやマトワリチェトリがもたらした、ドゥルガ神を祀る貧弱な寺がひとつあるだけで、土着の信仰はマスタとよばれる山の神だけがあるだけだった。(つづく)良く見ると彫刻にはジョークがある。欄干にかぶりつく、歯までもあるから面白い。笑いを忘れない西ネパールの人々、だから愉しい。 Masta's shrine at TibrikotD,Snellgrove "Himalayan Pilgrimage" A Traveller Through Western Nepal,Oxford,1961. このマスタ像は橋の欄干を注意してみると、こんな彫刻をしてある村、家々の屋根や祠に祀られてあるもの・・・、全くない村など興味深いものがある。それもボティアの人々の住むところには全くない。 カルプ村を過ぎて尾根路へ Chhelluma Lekの一部が? 大きなラプツェが出てきてchhettuma lek,Okhale lek,の一部、ゴラクヒマールの西端の前衛峰の5000m弱から6000mだろうが、5822m,6144m,6284m,5923mらしき峰を・・、GJまた宿題ができてしまったなぁ。奥に見えるのはゴラクヒマールの国境稜線の山々であるはず。ここへ入ったのは、まだ1998年の僕らだけだろう。ビデオを出してみるかぁ!う~ん!この辺りへの接近はタンケコーラとの出合からジャンガルと薮漕ぎが凄かった。ドザムコーラへ(北東に)斜めに横断して、ラチャマ・コーラ右股、タイフーン・ポカリへ下るルートを考えたことがあった。これもやらねばアカンなあ! とても山中の若者とは思えないスマートな格好、これが今の西ネパールなのだ。昔の知識や写真だけではダメです。こんな連中、こどもたちがいっぱいいるの。ところで、この尾根路は知らない。街道がフムラカルナリ沿いにあって、僕らも通ったし、今秋の同志社大チャンラ峰登山隊の若者も・・・、彼らの写真も近々にUPして、山路との比較も面白いかもね。右写真の村入り口のカンニは、ブリガンダキの村やマルシャンディのプ村・ナール村にあるものと同じなんだ。ジュムラから北、ナゥリ・ガット流域の村にもあったやん。これは調べないとアカンなあ!GJ君アンタの仕事ですがな。