栃木県の「奥の細道」
栃木県の「奥の細道」 元禄二年(1689)春、曽良とともに深川を出発した芭蕉は千住、草加を経て、日光に入り日光山を参拝しております。 その折の芭蕉の句 「あらたうと青葉若葉の日の光」 また、しばしの間、裏見の滝にこもったとあり、その折の句 「暫時(しばらく)は滝に籠(こも)るや夏(げ)の初(はじめ)」 その後、那須野を経て黒羽に向かいます。 黒羽には4月3日(陽暦5月21日)弟子の浄法寺図書高勝(桃雪)と鹿子畑翠桃の兄弟を訪ね14日間滞在しました。これは「奥の細道」紀行全行程で最も長い滞在期間となっております。その間、芭蕉は歴史や伝説の地を訪ね、風雅の足跡を残しました。 4月5日早々に雲巖寺を参詣しております。 雲巖寺 雲巖寺山門 雲巖寺鐘楼深川の臨川庵で禅を学んだ時の師(仏頂和尚)の山居跡がここ雲巖寺にあり、是非訪ねたいと思っていたようであります。 その折の芭蕉の句「木啄(きつつき)も庵(いお)はやぶらず夏木立」 句碑が山門を通り左手奥にあります。 芭蕉の句碑 黒羽を立つと那須の殺生石をへて白河に向かっております。 筆者のホームページへリンク