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でたし~! の はっぴー・マラソン・パラダイス                        旧『わたしのマラソンブログ』

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アスリートの命を奪った急性心筋梗塞の事例1 松田直樹

享年34 あんなに体を鍛えていたのに
元日本代表 松田直樹の命を奪った「急性心筋梗塞」



 8月4日、日本フットボールリーグ松本山雅FC所属の松田直樹選手(34歳)が、急性心筋梗塞のため亡くなった。
 誰よりも屈強な肉体を持つはずの元日本代表選手が、なぜ突然の病魔に倒れたのだろうか。

「大の字に倒れた松田を囲んで、『マツさん、マツさん起きろ!』と選手たちが叫んでいた。何が起きているのか、すぐには理解できませんでした」(松本山雅FCチームスタッフ)

 松田が病院に運ばれた8月2日、松本山雅は、松本市内にある梓川ふるさと公園で練習を行っていた。ウォーミングアップとして行われた、15分間3kmのランニングを、「いつも通り」2周遅れでゴールした松田の胸を、突然激痛が襲った。


「次の練習が900m走だったため、その準備として脈拍を取りながらストレッチをしていたんです。そのとき松田が『やばい、やばい』と呻きながら崩れた」(前出チームスタッフ)

 同僚であり14年来の友人でもある木島良輔は「またふざけてるのか」と思ったという。
「マツは普段から、走った後、ふらつくジェスチャーをして遊んでたから」

 しかし木島は、松田の目を見て異常事態を察知する。たまたま練習を観ていた看護師の女性が、救急車が到着するまで心臓マッサージを施すも、信州大病院に搬送された時、松田は心肺停止状態に陥っていた。発作から50分が経過していた。

 実は皮肉なことに、松本山雅は、この日倒れたふるさと公園より高頻度で、信州大の敷地内にあるグラウンドを練習に使用していたという。



 年間100例以上の心筋梗塞患者を診る、帝京大学附属病院循環器内科教授の一色高明氏が解説する。

「現役のアスリートが急性心筋梗塞になることは非常に稀です。元気な人ほど、その前兆を自覚しづらいんです。私の病院に運ばれる患者さんの9割以上は、肥満や慢性的な運動不足の方。喫煙者やストレスを抱えている人のリスクは高まりますが、松田さんのような30代のケースは全体の3%程度しかありません」



 松田は今年の2月にチームが実施した、胸部X線・心電図・血液検査などのメディカルチェックでも「異常なし」と診断されている。

 倒れた日の朝二人で話す機会があったという松本山雅のチーム関係者は言う。
「全く普段通り、チームの方向性や改善点などの意見をくれました。顔色も変わりなく見えたんですけど」

 当日、車で一緒に練習に向かった木島も「異常は感じなかった。こんなことになるとは思わなかった」と回想している。

 松田は昨季のオフに、プロ入り以来在籍したマリノスから解雇され、松本山雅に移ってきた。松本市内で一人暮らしをする松田について、親交のあるベテラン記者は、環境の変化によるストレスを心配していた。

「文句があると口に出さずにはいられない性分でしたから。それに松田にとっては初の移籍でしたしね。
しかも離婚しているようで、病院に3人の子供たちを連れてきたのもお姉さんでした。交際相手はいたようですが、子供と離れて寂しくもあったようです」


 またサッカージャーナリストの元川悦子氏は、こう語る。
「監督に対しても、認めた人にしか懐かなかった。日韓W杯のとき、トルシエ監督には『出さないと殺されそうな目をしていた』と言われた。人にも自分にも厳しい、闘争心の塊のような選手だった」

 松本山雅移籍後のインタビューで「代表入りは諦めていない」と語った松田だが、過去には自分を起用しないジーコ監督(当時)に反発し、「代表には行かない」と公言。以来、代表との縁は薄れていった。しかし監督やフロントに迎合しない松田の姿は、仲間たちの羨望を集めた。

「古典的で破天荒。やんちゃで、酒も遊びも大好き。(前所属の)マリノスでも最後は首脳陣から煙たがられたが、仲間からの信頼は厚かった」(前出記者)

 亡くなる直前、病院には城彰二や中村俊輔をはじめ、石川直宏など、かつてともに闘った仲間たちが駆けつけた。



 不屈の男と呼ばれた選手に訪れた、あまりにも早い最期だった。

                 「週刊現代」 2011年8月20日・27日号より


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