南国から雪国へ生野峠前のページ | ホームに戻る | 次のページ 南国から雪国へ 雪の生野峠 昭和47年3月31日(1972) 九州での撮影が29日までかかり、30日に家に帰っている。 さすがにこの日は撮影していない。撮影したフィルムを現像に出したり、 荷物の整理も必要だったかな。 でも、次の31日には播但線の撮影に生野峠まで足を伸ばしています。 この日は雪だった。3月31日ですよ。 今までいた九州では南国の気分を味わって、その数日後には 雪国の景色です。たまらんね。この違い。 乗って行った客車です。 S47-3-31客車内 懐かしいオハの客車です。休日ともなると寺前以北は乗客が ほとんどいません。この客車は背もたれに緑色のベルベット 加工のクッションがついています。九州ではこれがなくて、 板だけの客車があり、びっくりでした。客車にこだわった人も いるらしいですが、自分はそこまでは興味がなかった。 S47-3-31寺前 客車最後部から 客車の最後尾は連結部分が、がら空き状態です。 飛び降りるのも可能でした。今では考えられない作りですね。 まあ、常識のある人間を信じていた時代です。 今なら、ここから落ちたのは国鉄が悪いとか、文句を言う人が いるでしょうね。常識を越えた行動をする自分が言うのも不思議ですが・・・・ S47-3-31生野峠DD54前補機とC57 有名な生野駅北側のトンネルに入ろうかとしている貨物列車です。 残念ながら前にDD54の補機が付いています。知り合いのプロカメラマンが 撮影したここでの写真がすばらしいものでした。煙の量がすごかった。 そんな写真を撮りたいと願っていたが、ここまで来るには日曜日しか だめだし、日曜日ごとに雪が降ってくれるわけもない。 何度も通って運がよければいい条件にめぐり逢える。 これがSL撮影の難しさ。 とりあえず、この場所で雪が降るなかでの撮影ができました。 自分で車を持っていない高校生の悲しさです。 当時の僕より若い人たちはもう少し早く生まれてきていたらなあ、 と皆が思ったことでしょう。金と車がほしかった。 S47-3-31生野峠後追い トンネルに入ろうとするところです。 和田山から姫路行きの列車はこのトンネルが最後の難関です。 勾配は25パーミル。旅客用のC57には長大貨物を牽引しての 峠越えは酷というものです。 S47-3-31生野駅C57113 生野駅でのしばしの休憩。この列車はここでDD54の補機を 切り離して単独で南下していった。このC57113号機は しばらくして九州の宮崎に転属となり、夏の九州撮影で再会する ことになった。 S47-3-31生野鉄橋雪の中 生野駅から南へ少し歩くと(30分ぐらい?)この鉄橋がある。 今ならこんなに歩くなんて考えられないが、当時はそれしか 方法はない。ひたすら根性です。 雪が降るときはカメラがぬれることを心配して、撮影したことが少なかった。 しかし、もうSLが無くなることが分かっているので、そんなことは言っていられない。 チャンスは最大限に行動しなければ・・・ 降りしきる雪の中をカメラにタオルを巻いて撮影しました。 夏の暑い日にここで撮影した写真も思い出が残っているが、 この日の撮影も懐かしい記憶です。 この場所で撮影した後で、まだ追いかけています。なんせ、一日に 上下の1本ずつしか列車はありませんからね。 続きは次回です。 前のページ | ホームに戻る | 次のページ |