C575号機 姫路前のページ |ホームに戻る | 次のページ C575号機 姫路御立公園 C575号機 姫路御立公園 2009,11,22 撮影 3連休のど真ん中。なのに、どこにも行くあてがない。 悩んだ挙句が、やっと見つかった。そうだ、C575号機に会いにいこう。 近くなのに遠く感じる距離ですね。職場からも、よく行くスーパーからも、ちょっと足を伸ばせば行けるのに。 場所は御立交通公園です。 曇り空で撮影には好都合です。小雨が降ってきたけど、この程度は大丈夫。 日曜日だが、天気が悪いので、お客さんは少ない。無料の駐車場にも簡単に入れた。 20年前には子どもを連れてよくきた場所です。久しぶりに来て見ると、遊具がすすけている。 御立公園懐かしい遊具.jpg おっと、写真がでかすぎた。まあ、いいや。月に200円を払って、写真の容量を増やしていますから、気兼ねなくアップしましょう。 遊具のペンキが薄くなっています。エアークッションのキリンさんも汚れていますねえ。 動かなくなった遊具にカバーがかけられています。ちょっと寂しい感じです。 御立公園4.jpg C575御立公園03.jpg なんせ、入場は無料です。乗り物券だけが有料です。わが子が小さい頃には、 もっと賑わっていたのだが。 C575号機との対面は何年ぶりだろう。かれこれ10年は経っているだろう。 保存状態はどうかな? おや??? きれいです。というより、最近に塗装をしたみたいですね。 C575御立公園正面アップ.jpg バンバン写しました。 C575御立公園公式側.jpg 雪よけを付けていたのですねえ。 へぇ~~、知らなかった。 C575御立公園動輪.jpg しっかりとペンキが塗られています。それも、最近ですね。 C575御立公園新塗装.jpg これでもかあ~、というぐらいにベタ塗りでした。まあ、野ざらしだからこのぐらいで丁度いいかな。 C575御立公園運転席.jpg おいおい、姫路機関区はないだろう。 と、思っていたら、あれまあ。その経歴を見てびっくりです。 へぇ~~、その昔、姫路第1機関区に所属して、山陽本線を走っていたと。 おいらが写した頃は、京都の梅小路機関区の花形エースとして君臨していましたから、てっきり、京都が長いのかな、と思っていた。 こうして経歴をみると、なるほど、姫路に保存された訳がわかった。このSLの保存には 姫路SL同好会の働きかけが大きかった。いちおう、その同好会の欄外においらも所属していたつもりでしたが、 その経歴についてはよく調べていなかった。それに、過去に写しに来ているのに、その経歴を、 じっくりと読んでいなかったというのも恥ずかしい。ごめんちゃい。 C575御立公園経歴1.jpg この全文を載せたいところですが、長くなるし、今は根性がないので、後日にします。 もう一枚、これで勘弁して~。 C575御立公園経歴3.jpg 梅小路機関区の花形として、活躍を終えて、僚機の39号機とともに、重連で山陽本線を 臨時客車を牽引していた。この列車は何度か撮影したことがある。そのイベントが終わって数日後のことです。 夜11時になると近くの踏み切りに出かけていた。その11時に和田山から来るC57をみると、 その後の1週間の運用が分かるということを、夜な夜な記録していたおいらは発見した。 機関区に行って聞けばいいのだが、そんな運用順序があることも知らなかったわけですから、 それを発見したときは、嬉しかったのです。そして、夜ごとに踏み切りまででかける毎日でした。勉強していないのがバレますね。 その夜も、いつものように踏み切りで通過するC57を確認した。 「え~~~、まさか?」 我が目を疑うとはこのことです。 「ウソだろう、え~、5番だったよな。」 「まさか、まさか。」 でもどうしても信じられないおいらは、急いで家に帰り、自転車を機関区へ向けた。 10分ぐらいで着いた。 機関区に戻っていたC57はやっぱり5号機だった。 先週まで、山陽本線を走り、この姫路第1機関区で休憩していた、5号機が本務機として ここに休んでいる。感激というか、驚き桃の木山椒の木です。 ただ、正面の形式入りナンバープレートは外され、かわりの出来たてほやほやの味気ない真鍮製のナンバーが残念だった。 SLの顔ともいうべき正面のナンバープレートは値打ちがあった。 とくに、戦前のものは幅が広い形式入りとして、希少価値だった。 戦時中の金属供出で幅広の砲金製ナンバーは軍事用に転用された。 その受難をどのようにかいくぐったかは知らないが、さすが一桁ナンバーは例外だったのだろうか。 姫路機関区に来たときもこのプレートをアップで写しました。いずれ、出しますね。 さすがに、これは外されてしまっていた。 どこにあるのでしょうね。京都の梅小路にもなかった。 誰が持っているんだ~~。 というわけで、それ以降は5番、11番の人気SLが播但線で活躍することになった。 あの夜のことは今もびっくり仰天の出来事として覚えている。 もう少し写真を載せますね。 C575御立公園BL用01.jpg C575御立公園後藤工場検査.jpg 昭和45年に鳥取県の後藤工場で全般検査を受けています。 Gは後藤工場です。その後ろが何か?きっと鳥取県を表していると思うのだが・・・? 北海道の苗穂工場はN・H でした。だけど、そうとはいえないイニシャルもあるのです。 鷹取工場はT・K だったと思う。梅小路で見たのは違うのもあった。知っている人は教えてちょ~。 C575御立公園後方から.jpg C575御立公園BL用02.jpg 子どもたちのにぎやかな声を聞きながら、ずっとそこにいるのです。 昭和12年に製造されて、49年(1974年)に引退するまで、37年間の活躍だった。 それから、35年経っている。保守をしている人たちも高齢になっているだろうなあ。 いつまで、こうして手入れしてもらえるのだろう。 御立公園全景1.jpg 御立公園全景2.jpg 我が子と遊んだ日々が懐かしい。そして、ばらばらになった家族が悲しい。 雨が降ってきた。涙雨か。悲しい休日だった。 前のページ | ホームに戻る | 次のページ ジャンル別一覧
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