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テーマ:私のPC生活(7580)
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つれづれなるままに
![]() 異論はあるのかもしれなませんが 私が知っている範囲で世界で初めてパーソナルコンピュータと呼ばれたのは、1973年米国XEROX社のパロアルト研究所で開発されたAlto Computerのように思います。 このAlto君の論文やマニュアルに「Alto a Personal Computer」と書かれていたのが最初だと記憶しています。 (写真の出所:丸善「J Star ワークステーション」より) え?あの、コピー屋さんが?ではありますが、そうなんです。 このAlto君、この時からマウスはついてるし、イーサネットに接続されていたとも言います。 (この当時のイーサネットは3Mbpsだったそうで、10Mbpsで規格が標準化されたのは八十年代に入ってから) なんでも、電子メールもコンピュータ同士でのファイル共有もできたそうです。 現在の、アイコンやウィンドウなどデスクトップの具体的な技術も、Alto君から始まったらしいです。 ま、IBMあたりにいわせれば、デスクトップ思想という考え方はAlto以前からあるのだそうですが、具体的な技術となるとAlto君が最初のようです。 考えてみると、未だにパソコンはこのAlto君の領域を脱していないのかもしれません。 当時、米国はベトナム戦争真っ最中で、コンピュータの開発も少なからず戦争の影があったようです。 たとえば、今のインターネットの方式も米国国防省のARPANETから始まってますからね。 CGの研究・開発も戦争の影響が大きくかったそうです。 戦争と関係なく開発された、Alto君は珍しかった様です。 平和目的で、CGの研究ができそうだと集まった研究者もいたそうです。 Appleさんは、「私がやりました」などといってますが、 Appleさんで、Macintoshを開発が始まった頃は、随分XEROXのテコ入れがあったようです。 なんでも、AppleがMacintoshを開発するころは、XEROXさんたらAPPLEの株主の一人だったらしいのですヨ。 今では誰もが知ってるゴミ箱アイコンすら、XEROXの研究者のアイデアだそうで。 AppleのCEOであるスティーブ・ジョブス氏も、1976年にこのAlto君を見学したそうです。 それで、「オイラもこんなコンピュータを作ってみたい」と思って作ったのがMacintosh… …ではなくLISAというコンピュータです。 ジョブス氏のお嬢さんのお名前もリサさんらしいですが(笑) 当初は、ジョブス氏たらMacが大嫌いだったんですね。 ジョブス氏はLISAのプロダクトに熱心で、なにかとMacをコケにしてたみたいです。 で、なんでこのAlto君があまり知られていないかと言うと、なんと販売されていないんです。 XEOXの経営陣がまったく無理解だったそうで、Alitoは1000台だか2000台だか忘れたけど、そのくらいの台数作られただけで一般には販売されませんでした。 もとも、開発することすら「なに馬鹿言ってんだ」てな感じで、開発者のアラン・ケイさんの上司は認めていなかったそうです。 なんでも、テレビで本人が言ってたけど、上司が長期出張だか休暇している間に、研究仲間を集めて短期間で作っちゃったらしいです。 なんでやねん。 と、いまならそう思いますが、 1973年頃の日本といえば、中小企業でもコンピュータ利用が出来るようにって国策がありました。 例えば、電々公社が中心に開発していたDIPS計画('70年~)なんてのがそれです。 これは、DIPSという大型コンピュータをセンターに設置して、中小企業のオフィスに端末を設置してみんなで共同利用しようというものでした。 (商用サービスでは、DRESSとかDEMOSという名前でした) なんでかっていうと、当時のコンピュータはバカ高く、個人は勿論、企業でもなかなか買えなかったので、中小企業のためにこんな国策があったくらいです。 これに限らず、この頃は銀行のATMにしろ研究所にしろ、一台のコンピュータを多くの人が共同で使うというのが一般的でした。 ちなみに、殆どのコンピュータはオペーレータという専門職の人達が操作していました。 当時のコンピュータといえば、そのオペーレータに加えSEやプログラマーなど、専門家でないと使えない代物でもありました。 とうぜん、個人がコンピュータを所有して、なおかつ個人が1台を占有して使うなんて、誰も考えてもいませんでした。 そんな時代に、段ボールかなにかで、現在のノートブック型コンピュータのようなものなモックアップモデルを作った人がアラン・ケイさんでした。 「トースターは子供でも使えるのに、なんでコンピュータは専門家でないと使えないのか」 などと、のたまわったとも聞いております。 そんな彼が、個人が所有し子供でも使えるコンピュータを作るなんて言ったら、当時なら気違い扱いだったとおもいます。 ちなみに、この時代の少し後の八十年頃に、まだ私が若い頃に仲間うちで酒を飲んでた席で 「そのうち、コンピュータで作曲したり、絵が描けるようになる」 と言ったら、お前大丈夫か?てな顔されました。 私は、気がふれたと思われただけで、ついでに同情されたされただけの人ですが。 先の気違い、じゃなくて天才アラン・ケイさんは立派です。 現実にしちゃいました。 ちなみに、現在のノートブック型コンピュータのようなものなモックアップモデルを、ダイナブックといったそうです。 東芝のノートブック型パソコンDyna Bookではありませんヨ、念のため。 記憶に間違いがなければ、東芝のダイナブックは米国ではDyna Bookとういう商品名ではありません。 なんで、日本ではDyna Bookで販売できるんでしょうね? 日本のゼロックスにでも聞いて下さい。 (そのうち、つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月02日 19時05分41秒
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